本、読み終えた。オーシュ卿(ジョルジュ・バタイユ)『眼球譚』
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,生田耕作
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2003/05/01
- メディア: 文庫
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本書目次
第一部 物語
1猫の目
2衣装簞笥
3マルセルの匂い
4太陽黒点
5血の滴り
6シモーヌ
7マルセル
8死女の見開いた眼
9淫獣
10闘牛士の眼
11セヴィリアの陽光の下で
13蠅の足
第二部 暗号
W.C.――『眼球譚』後序
『眼球譚』続篇腹案
本記事目次
本書があった細い隙間
君の眼には何が映った?
本書があった細い隙間
性を知るとき赤面しない人はいないでしょう。
まさか本文を読んで1分もしないうちに、人生で再びその赤面をすることになろうとは思いませんでした。
あれは日曜日の午後、登山する人にありがちな「なんか気乗りがしないなぁと思っていたら出発時間を過ぎてしまったので今日はオフ」現象が起こりました。
それと一緒に「図書館に本を返却しないと」と思い出して3キロほどの道程をテクテク歩いていきました。
それから幻想文学系が気になり文学の書棚に行き着きました。
フランス文学の一角で本の背表紙を眺めていくと飛び込む『眼球譚』
「人形考察みたいなものかな?」
だとしたら面白そうだぞと手に取るとそれはバタイユが書いた小説だという。
バタイユと言えば『エロティシズム』、『有用性の限界』などがとかく有名ですから、人形と絡めたエロティシズムものであるなら尚更面白そうと期待を膨らませて立ち読みしました。
ところが1分もしないうちに私は顔が真っ赤になりました。気が遠くなってからのち、右と左と下半身を見て一安心しました。
「バタイユ、違う。そうじゃない」
と口を一文字に結びながらも、偶然本を両手で閉じたため、祈りを捧げるような格好になっていました。
本棚にはぴったりと、スルリと入る細い隙間が残っていて、そこへ右手人差し指でゆっくり本書を押し込みました。
私の指は携帯画面に表示されるアマゾンの黄色い枠内を狂ったようにタッチしまくったのでした。
注文を確定する。もちろんだ。
早くしてくれ。
君の眼には何が映った?
ヒロイン格の女性は眼球と玉子を混同して卑猥なことを繰り広げる話です。*1
眼というのは古今東西で「やるなよ?」と抑制させる機能を持っています。
それを主人公格の男やヒロイン格の女は破っていきます。
なんと言ったらいいか、本文をタイピングしたくありません(汗)
男でも女でも、バタイユが『エロティシズム』で述べるように禁忌は破ることによって機能する、というものが自身の生理活動で感じられてしまう内容となっています。
……なんか恥ずかしい。
と、とにかく本書は必ず夜に寝室で布団に潜り込んで、薄明かりの電球に包まれながら読むのが適切です。
公共の場所では絶対ダメです。
『次第に』条例違反になります。
ところ変わりますが、発達心理学的には排泄というのは子どもにとっては快感に属するものとして考えることができます。
また自己形成にも寄与します。
誰もが排尿をして、性を知って、大人になります。
自身の脳には確かに性のトリガーがあります。
社会やルールはそれをよしとしません。
バタイユは
極度の魅惑はおそらく嫌悪との境目に位置している(P170)
と言います。
バタイユ思想は「相反するものは重なる」のが根底にあります。
痴漢とか盗撮をする人が一見すると真面目で妻子持ちで、社会的ステータスが高いことにも関係しているのではないかと思えてきました。
何か『極度の魅惑』に出会ってしまったのでしょう。
そういう人ほどダメダメダメ!と境目まで行ってしまうのでしょうか。
バタイユの言うとおりなら、人間は人格など関係なく、行くところまで行ってしまう可能性を持っている。
私はビスクドールとかちょっと欲しいんですよね。
性的嗜好ではなく愛玩として。
性的な使い方なんてとんでもない!そんな使い方は人形じゃない。ただの動かない人間が欲しいだけじゃないか。人形は美しく動かないのが魅力なんですよ。お手を取って持ち上げて、離すとコトリと落っこちて。手取り足取りしないと何もできない。それが人形だよ。衣擦れも気にせず、髪が顔にかかっているのもわからない。ただ美しくそこにあるという普遍性がある。抱いて歩いてあげましょう。髪を梳かしてあげよう。その重さを持ち上げてあげるから……。
あぁ!ダメ!
ダメですよ!
*1:眼球と玉子はフランス語ではほとんど同じ発音らしい