映画、観た。『フォレスト・ガンプ』
Life is like a box of chocolates. You never know what you're gonna get.
人生はチョコレートの箱のようなものだ。食べてみるまではわからない。
アマゾンプライムにて視聴。
原作小説『フォレスト・ガンプ』が脚色されたのが本映画だそうです。映画レビューサイトでも結構上位に位置しているこれは気になっていました。
知能指数は劣るが、純真無垢な心で人生の半生を語る物語です。
半生の詳細は映画にあるので割愛するとして、フォレスト・ガンプの『走る』ことと墓前での台詞がやはり考えさせられるものとなりました。
人々の『走る』
映画を通して主人公にとって走ることの意味がドンドン付加されていきます。
イジメから逃げるため・ラグビーで勝つため・愛する人を守るため・仲間を戦場からたすけるため・わけもなく走るため……。
しかし誰でも走ることには様々な意味が付加されているはずです。それが「遅れないようにするため」がもっぱらなのがなんだか悲しいですね。
昔はもっと色々な理由でアクションを起こしていました。大人になるにつれて行動と理由がブレなくなってしまいます。それはフォレスト・ガンプの人生ではあり得ないことです。
ヒューマンドラマで心が動かされるのは、今までしてこなかったことや今はしていないことを、何かをキッカケに始めて、もう一度人生が大きく動くときです。
そうするとこの映画はある意味王道中の王道のシナリオにスポットを当てているとも思えます。
私も長期連休のGWに登山関連で冒険に出掛ける計画を立てています。
様々な言語で『走る』には深い意味が付与されています。
とにかく何か行動に移す。フォレスト・ガンプのように走り出す大切さと重要性、そして意味のない純粋さ。
やりたいことがあるなら走ろう。これも人生に立ち向かう勇気をくれる映画です。
墓前の台詞
ジェニーが正しいのか、ダン小隊長が正しいのか――。
それともただ風のように舞うだけなのか――。
多分両方だ。
両方のことが同時に起こっている。
個人的に考えるに、ここでのジェニーとは衝動的に行動してしまう自分。
ダン小隊長とは人ととして純粋すぎる・言うことを聞きすぎてしまう自分。
風とは理由もなく走る自分。
これらを言い表しているのではないかと感じました。
これらが同時に複雑に起こっているのが人生だと。
偉人や天才ほどドラマチックな人生を送っているというのもなんだか聞く話です。
偉人や天才でなくとも、すぐさま行動に移したり、人を信じてみたり、理由もないことをしてみたり、いくつになってもそういうことを行いたい。
大人になったら後者2つが信じられないほどできなくなってしまっていることもあります。そう感じたら足が不自由だった頃のフォレスト・ガンプに付いていた装身具を思いだそう。
フォレスト・ガンプはそれを粉々にして走り出したんですから。