On bullshit

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思ったこと 感じたことを そのままに

本、読み終えた。毎日新聞社『日本の蒸気機関車のすべて 1号機関車から現役SLまで』

本書目次
(割愛)
 
記事目次
SL以外の写真も豊富
 
 
 

蒸気機関車とは

    完全に火を落とした状態から走れる状態にするまで、4時間かかるのが蒸気機関車です。他にも、100を優に超える油差しを行います。
    炭水夫が炭水車(蒸気機関車の後ろで引かれている、石炭や水を入れておく台車のこと。これを必要とするタイプをテンダー式、機関士・機関助士のすぐ後ろに石炭を、水はボイラーにある水槽に積むタイプをタンク式という)に石炭や水を補給します。
 水は停車場の給水塔から入れます。石炭は機関助手がすくいやすいように、平らにするのも忘れません。それから石炭に水をかけます。こうすれば石炭の粉が固まるからです。
    機関車乗務員は1時間ほど前から出勤し、作業服に着替えて、時計を標準時計に合わせます。身を正したら、乗務員室に書かれている指示事項を読み、当直助役から当日の注意や指示を受けます。
    車掌から列車の状況も聞きます。どれだけの車両、どれだけの人を引くかで運転に違いが出てくるからです。それでも時間が余ったら機関車内でご飯を食べます。
    出発。機関助手が石炭を入れます。効率よく燃やすために、効率よくくべていきます。
    機関士は様々なハンドル操作をしながら、横の窓から顔を出して前方を見ます。前方にある窓だけでは、機関車の図体故、前が見えないからです。
    機関士も機関助手も石炭と蒸気にまみれます。窓を開けていれば乗客もそれにまみれます。煙室扉(機関車を正面から見たときにある扉。ここから入って釜を掃除する)に入るのも大変でしょう。
 夏は暑く、冬は寒い。それでもでかい図体を何十人という人々が手入れをして走らせていく。
 
 私は何人もの人が関わることでようやく動く蒸気機関車が好きです。でもやっぱり不便。
 どこでかは忘れましたけれど、実際に石炭をくべる体験をしたことがあります。ほんの少しすくっただけなのに、重い。火室(石炭をくべるところ)の奥に放り込むのも一苦労。火室の扉を開くと熱風が刺さる。たとえるなら、最初にサウナに入ったときに顔に感じる暑さをもう少しキツくした感じでしょうか。それを何時間もやり続ける。夏場は察する以上のもののはず。
 
    どうして大きいものが動くのか。それは多くの人が関わっているからだ、と一目でわかるものが好きです。だから戦隊モノやSFは司令室があるのではないでしょうか。
 
    子どもの頃に見た梅小路機関車館の車庫は感動しました。あれ以上に心を揺り動かす光景を、その後見たことがありません。サスペンダーを引き伸ばすクセも忘れていました。
    円形車庫に並ぶ佇まい。転車台に乗る蒸気機関車。ボー!と鳴る汽笛が頭を揺さぶる。汽笛の音は日本の音100選にも選ばれています。
 
    特に好きな蒸気機関車があるというわけではありませんが、除煙板が付くとかっこいいと思います。除煙板は機関車前部にある衝立のようなもので、これを付けることによって空気の流れを上に流し、煙を後方へ追いやることができます。下の画像で確認できます。
 

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京都鉄道博物館HPから拝借)

(左からC62、クハ86系、0系21型)

 
 D51が有名なのは
  1. 牽引力が当時最大だったから
  2. 均整のとれた見た目だから
  3. 輸入ではなく、日本(鉄道省)が設計・製造をおこなったから
  4. テンダー式蒸気機関車(さきほど記した通り、後ろに石炭や水を積む必要がある台車)で、見た目からして蒸気機関車だとわかる
というのがあると思います。日本は他国と比べて山を避けて輸送はできません。多くの車両を効率よく引けるD51は日本の輸送を支える代名詞になったわけです。後には旅客列車も引きました。
 その活躍ぶりから改良されつつ、昭和20年(1945年)までに1115両も製造されました(全国各地でD51が静態保存されているのはこのため)
 ちなみにプラモデルのD51も存在しますが、主連棒部分がかなりストレスだった覚えがあります。主連棒とは複数の車輪にまたがってついている棒のことです。この上下運動が車輪に伝えられ、回転運動になることによって機関車が動くのです。
 プラモデルは主連棒の他にも絡みつく配管類がなんかポロポロとれた記憶。プラレールのやつも好きだったなぁ。
 
 

SL以外の写真も豊富

 で、この本。図書館をブラブラしているときに発見。懐かしいと思って借りてきました。
 1号機関車、弁慶号、義経号、善光号、しづか号、大勝号、光圀号、磨墨(するすみ)、池月、電光(いなずま)などの初期のものも掲載されています。もちろんC53やC57(別名貴婦人!)なども。そこらへんは白黒の写真ですが、後半はカラフル(C11、C58)なものも。後半は動態保存されているものを紹介しています。
 このムックで印象的なのは保守作業の写真が多く掲載されていることです。走っている雄姿は子どもの頃から多く見てきましたが、こういうのを順を追って見られるのは自分にとっては新鮮でした。
 もう一つ印象的なのは、現役(当時)の方々の会話やインタビューが記録されていること。怖くて鉄橋は目を閉じるとかお茶目な面も。
 末尾には全国に散らばる蒸気機関車の所在地や略年表があって便利(本書は平成9年発行)
 
 SLの全盛期は昭和21年(1946年)です。車両数は5968両。しかしそこから動力近代化計画の元、電力による電車が普及し始めます。SLの車両数が減っていく中、昭和36年(1960年)には車両数が電車に追い越されます。
 その利便性の普及・向上と同じくして、沿線における煙害の声が大きくなっていきました。
 旅客列車としては昭和50年(1975年)の12月14日、貨物列車は同年のクリスマス・イヴに、SLは歴史の幕を閉じることになるのです。
 外見だけでいいから復活しないかなぁ……。