On bullshit

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素人の分析と感想。「ミニマリスト」

 ミニマリズムの一般的理解

 語源となっているminimalismをみると、

www.weblio.jp

建築・美術・音楽などの分野で1960年代に登場した,装飾的要素を最小限に切り詰めた簡素な形式。

 

 一方ではてなブログで見かけるのはミニマリズムが生活環境にまで拡張されて、必要最低限の生活の維持を目指すものみたいですね。
そして実践している人をミニマリストと呼ぶと。
 
 minimalが「最小限」という意味であることから、最小限主義という名称も見かけます。
 
 はてなブログを始めてから知りました。
私には馴染みがありません。
よって勉強として、ちょっと調べるとともに、
これについて感想を述べたいと思います。
 
 
 
歴史的時代背景
 1960年代と言えば、日本が高度成長期の時代です。
どうしてそんなときに海外でミニマリズムが登場したんでしょうか?
 
 日本はと言えば、
・カラーテレビが放送開始。
鉄腕アトムが放送開始。
 
などとこんな感じ。
華々しい。
 
 世界はと言えば、
・中国で文化大革命
ソ連の雪解け。
ビートルズが大人気。
・アメリカを中心にヒッピー文化が流行。
 
いろいろな意味で激動の時代と言えます。
 
*ちなみにヒッピーとは価値観にとらわれず、
従来の人間生活を否定し、
文明以前の生活へ回帰する人たち、
あるいはそのような動きのこと。
日本ではフーテンと呼ばれたことも。
もともとはベトナム戦争の反対運動をした若者から始まった。
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●建築・美術・音楽
 上記ミニマリズムの定義を掘り下げて、
建築・美術・音楽における
ミニマリズムの特徴を見てみます。
 
 
●建築
 建築においてはシンプルさが際立っています。
全体としてはシンプル、別個にみると素材の質感がそのまま出されているようなもの。
東京五輪である意味有名になった安藤忠雄さんミニマリズム建築を考案しています。
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●美術
 美術でもシンプルさが押し出されているようです。
装飾を減らし、色や形に制限を加え、複雑さをなくしています。
その代わりに「場と作品を一つの総体」として捉えています。
 これは明らかにフランスの哲学者メルロ=ポンティの影響を受けています。
メルロ=ポンティミニマリズムの哲学者」と呼ばれています。
 
 
 
●美術における

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(Maurice Merleau‐Ponty 1908‐1961)
 
「世界はあらゆる分析に先立って存在している。
従って、主観によって構成されるものではない。
我々は、科学や常識、あらゆる独断から離れてみることが必要だ。
そうすれば我々は、世界に身を置いている存在、世界内存在としての人間を理解することになる。
 
これこそが事象そのもの、つまりは現象となる。
人間はこれを記述しなければならない」

 

 
としました。
つまりは人に頼らず世界を理解せよ、
ということでしょうか。
芸術は鑑賞されて初めて価値が付けられます。
そして鑑賞者がいるのは作品とそれがある空間です。
それらを総体として構成することに成功したということです。
さまざまなものが影響を受けたのもわかります。
 
 
●音楽
 音楽では音の振幅が必要最小限で、
かつリズムがパターン化されて繰り返される内容です。
久石譲さんもミニマル・ミュージックの影響を受けています。
 
 
 
●建築・美術・音楽と
ミニマリズムの定義から推察する
 
 今までのことを考えると、現代のミニマリズムとは、
 
・シンプルな生活空間、
 
・シンプルな生活環境、
 
・シンプルな生活態度、
 
・シンプルな生活物資、
 
・シンプルな生活サイクル、
 
これらを行うことになるんでしょうかね。

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ミニマリズムのカテゴリー
 ここから感じるミニマリズムを分類してみます。
ミニマリズムは物質的ミニマリズムと精神的ミニマリズムと大別します。
 
・物質的ミニマリズムは量的・質的に細分化します。
 
・量的とは食べる回数や服の数などを指します。
 
・質的とは家電のシンプルさなどです。
余計な機能を排除したものでしょう。
たとえばメディアでは家具のデッド・スペースを
しきりに利用しようとしますが、
「デッド・スペースがあるくらいなら、そんな家具はいらない。物ないし」というのがミニマリズムの精神だと思っています。
 
・精神的ミニマリズムは一般的・宗教的に細分化します。
一般的とは節約・節制という言葉に言い換えても成立するものを指します。
 
・宗教的とは上の家具の例にもある通り、
思想的な一面がみられるものを指します。
例えば「白色の家具こそミニマリズムにふさわしい!」など。

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ミニマリズムと普通の差
 現代でミニマリズムという言葉が成立しているのには、やはり理由があると思います。
 
 国内が物質的・精神的貧困状態にあれば、ミニマリズムという態度は無意味です。
ミニマリズム的生活態度が普通になり、埋没してしまうからです。
 
 とすれば、ミニマリズムという言葉は、
裕福とは言えないまでも、個人一人ひとりの生活に
選択的自由が残されている時期にのみ成立すると言えます。
ここでいう選択的自由とは、個人がミニマリズムのカテゴリーを
選択し、調節できるということです。
 
 生活のすべてが現代化されました。
 
・人権などの法的土台の普遍化、
 
・国際化による生活の種類を多様化として認識する機会の増加、
 
・自営業やフリーランスなど、職業の種類の多様化、
 
それらによってミニマリズム時代に支えられていると言えるでしょう。
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自称していいのか
 しかしながら、ミニマリストと主張しなければ、現代ではその人の特徴の一つにされると思います。
すぐ上に書いた通り、現代は多様化の時代。
その一つだと認識したほうが楽です。
支えている時代的要素そのものが、ミニマリズムを覆いそうになっています。
 また、個人的に田舎暮らしと混同されそうな雰囲気を持っていると思います。
仮に自称したとしても、それは自己反省的にしか機能しないのではないでしょうか。
 
 
 
ミニマリズムとは何か
 以上を踏まえて、ミニマリズムを考えると
「自身の生活行動を、
一般的社会生活よりも相対的に狭め、
シンプルな生活規範に能動的に押し込めて、
かつそれらを表現し続けること」
とでも言うのでしょうかね。
 
 断舎利とセットになっていることから、自分の欲求を狭めていることがわかります。
消費を抑える方向に働いている現在の日本であれば取り組みやすい社会環境だと言えます。
 現代の身の回りの供給過多から抜け出す方法の名付けとしては良いと思います。
問題は欲求を維持できるかでしょうから。
 よってミニマリズムという名前自体にはあまり意味がなく、実践されて初めて意味を持つ言葉だと思います。
逆にそれが、曖昧になっている原因とも言えます。
 

ミニマリズムは自己表現の認知の仕方だ

 

と言うことができるかと思っています。
 
このことに関して続きを書きました↓

 

onbullshit.hatenablog.com

 

 
●終わりに
 もし、「何を言ってるんだこいつは」とか
思われたら、すみません。
On bullshit(ウンコな議論)でした。