上を見たか?
仕事の都合上、22時頃に帰ることが多い。最寄駅から家へは歩いて帰っている。
ふと立ち止まって上を見ると、柔らかな暗闇が見える。その中で星と月が瞬いている。そこから視線をずらすと、また暗闇が見える。
ひんやりとした空気の中でじっとしていると、なんだかおでこから悩みが吸い取られていくような気がして良い。悩みが水蒸気になって宇宙へと上がっていくような、不思議な感覚になる。
で、これを歩きながらやってしまうものだから、ガードレールとかにぶつかってしまう。また現実へ。何も変わってない。相変わらず悩みは尽きない。
でも、悩んでいるのは「上」がある世界なんだと思える。それだけ、楽になるなぁ。
上を見たか?
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映画、観た。『明日に向かって撃て!』
実話の映画化。
サンダンス「それより銀行はどうだ?」ブッチ「よりどりみどりの豪華版さ」サンダンス「女はどうだ?」ブッチ「手当たり次第だ」サンダンス「(笑)」
映画、観た。『荒野の1ドル銀貨』
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本、読み終えた。堀江貴文『多動力』
本書目次第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった第2章 バカ真面目の洗脳を解け第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ第4章 「自分の時間」を取り戻そう第5章 自分の分身に働かせる裏技第6章 世界最速仕事術第7章 最強メンタルの育て方第8章 人生に目的なんていらない本記事目次1時間半で1400円まとめると「我慢すんな」?許された…?結局わからないことの真偽は自分が調べるしかない両輪で回す追記2017/06/06
自己啓発的な本を、しかも新書を買うって初めてかも。
友達をなくすと大体こうなる。
私は、自分が12歳の時に持った友人に勝る友人を、その後持ったことはない。誰でもそうなのではないだろうか。
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人の一生の価値など容易には量れない。遺された家族や友人によって量られると言う者。信仰の厚さによるという者。愛によるという者。人生に全く意味がないという者もいる。私は、互いに認め合える人物が量りあうのが一番だと信じている。
私はなぜか節目節目で人間関係をリセットしてしまう。高校卒業後、大学卒業後、転職後がそう。決して用済みだなんて思っていない。けれど消してしまうんです。
スタバで好きなカフェモカを頼んで、飲み干したと思ってもカップの下にはココアパウダーやら砂糖やらが堆積しているでしょう?それを惜しまずカップごと捨てる感じでしょうか。
何が言いたいかというと友人との付き合いは決して面倒なことではない、むしろ楽しかった。一応法学部卒ですが、法学や犯罪学や社会学などの学問で友人と話し合うのは、一人で勉強するのとは比べようのない価値のある時間でした。でも連絡手段は絶ってしまうのです。
友人は大切です。たとえ悪いことを行っていても、その時だけは仲間です(善悪はその後の要素です)
友人を失うと何にもなりえません。私の中の何かは破れた風船のようになってしまったと考えるべきです。誰もがちゃんと膨らむ風船を持っている。それが何らかの原因で破れてしまった。顔を赤くして息を吹き込んでも少しずつしぼんでいってしまう。
友人を失うことはあるでしょう。生命という形で、あるいは裏切りによって。人それぞれですがゼロはいけない。生活が一変してしまいます。やはりゼロとイチは違うのです。
そこで何が違うのかいくつか挙げてみたいと思います。あくまで個人的に違うだろうと思う点です。最も驚いてほしいのは、30分ほどでこれだけ挙げられるということです。
ひねくれて、こじれてしまう。大変なことです。
・お金と時間が自分のためか、家族のためかのどちらかになる。
だからと言って有り余るわけではない。どこかでいつの間にか消費している。自分か家族以外の使い道が遮断されているように感じる。が、結局拒んでいるだけだということを知っている。
・基本的に一人行動になる。
これにおける自由は危険だ。知識も経験も、それ以外の一切が得られなくても何も変わらないからだ。それを許してしまえる環境だ。でも誰かといれば少しは変わる。コミュニティという概念は『蜘蛛の糸』だと思う。
・だからどこかに行くとき、人を誘うという考えに至らない。
自分の好きなことを、「よし、やるか!」で終始する。逆に誘われると「え、どう合わせよう…」となってしまう。
・それで人とのやり取りが余計に反芻される。
そもそも論、会話がほとんどなくなる。なので面と向かって言われた言葉が数時間でも数日でも頭の中で繰り返される。誉め言葉だろうと暴言だろうと。なんでもない会話だろうとすべてだ。
・音をよく聞くようになる。
車がドップラー効果を発生させながら走る音。風の音。風で窓が揺れる音。スズメの鳴き声。人ごみの靴音、話声。テレビなど。
面と向かってくれる人には真摯になろう。
・早歩きになる。
合わせたい歩調がなくなるためだ。人ごみは縫うように進み、駅のエスカレーターは歩き続ける。それに合わせてくれる電車はないのにね。
・遠慮のいらない人間がいなくなる。
これが行き過ぎるとむしろ他人の評価を気にしなくなるので注意だ。自分のことで精一杯、という気になっている。気力が少ない。
・馴れ合いによそよそしくなる。
馴れ合いは大切だ。卑下しているわけではない。なんでもないコミュニケーションに生返事が多くなったら、それはよそよそしくなったと認めたほうがいい。積極的にエレベーターガール&ボーイでもやろう。
・人づきあいが打算的になる。
お前と一緒にいたら楽しいという感情的な理由が減る。自分が何を得られるかで考えるようになる。
垣根は相手がつくっているのではなく、自分がつくっている。(アリストテレス)
・服装に無頓着になる。
首回りがくたびれるのは当たり前。肩や首回りが破れてきて「縫えば直る」と思ったらヤバい。その時にはもう新しい服にお金を出すことに抵抗を感じているはずだからだ。ネットでロングTシャツ一択でいいので買おう。パンツ(ズボンのことらしいぞ)は黒、茶でいいから。
・誰かのための予定がなく、スケジュールに締まりがなくなる。
今は親孝行に費やしている。美術館や博物館、神社仏閣などはおすすめだ。ちょっと遠出すればあるからだ。そして知識、経験の共有は人間の本能であるし役割だ。
対人ではないが私はハーブの栽培で朝は忙しい。水をやらないと枯れるし、摘葉しないとこれもまた枯れるからだ。独身貴族がペットを飼い始めるのと同じだろう。
・家族にも打ち明けられないことは封印されたままになる。
病気とかは特に。自分を助けられるのは自分だけだ。これだけは(程度は違えど)万人共通だ。
・家族がいる。これは代えがたいぞ。
絶対に、絶対です。心配してくれる人がいるのは良いことだ。間違いなく。
拒絶に慣れていない子どもは欲しいものが手に入らないということより、拒絶されたことを一層辛く考えることになる。
・だから相談に乗ることも、乗られることにも不得手。
というより無頓着になる。色々なシーンで「よくあるQ&A」の項目を読むようになったらその兆候だろう。
人をほめれば、対等になれる。(ゲーテ)
・夢にかつての親友が10回に1回は登場するようになる。
今はどうしているかわからないが、上手くやっているに違いない。あいつ等はそういうやつだった。
ちなみに変な夢を見ることも多くなる。
・自己研鑽に興味津々。
筋トレ、ジョギング、資格の勉強、教養、読書など。過去に負い目を感じながらやってるなら一緒に頑張ろう。ここでいう過去とは人生のレールから少しだけ脱線した場合を指す。
物事を見過ぎることで、それが持つ意味が見えなくなることを、私は恐れている。
・思想という言葉に弱い。
継続して良さそうなのを実践をするのは偉い。しかし思想が自分をスプーンのように救ってくれると勘違いしてはいけない。スプーンを握るのは自分だし、すくうのも自分だ。
不幸は本当の友人でない者を明らかにする。(アリストテレス)
蛇足ですが、書いてみたいことがあります。以下のことを書いて気づいてくれる人は世界を探してもたった一人しかいないが、書き残したい。
「ドアノブのパジェロ。ちゃんと持ってるぞ」