On bullshit

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村上春樹氏がノーベル文学賞を受賞しない理由の私見

受賞なるか!?
ならず!

  

という流れが続いている村上春樹氏。
しかし受賞しないのは「当然」だと考えています。
なぜでしょうか?
 
1、ノーベル賞とは?
 ノーベル賞アルフレッド・ノーベルの遺言によって設立運営されているのは周知のとおりです。
その遺言にはこう書かれていました。
「前年に人類のために最大たる功績を残した人々に――(以下省略)」
各賞は物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、経済学です。
ということは以上の学術分野において人類のためになるような功績を残すことが、ノーベル賞を受賞する暗黙の条件になっているはずです。
 
 では文学賞にスポットを当てます。
文学賞では、ほかの賞とも歩調を合わせるために、人類のためになる人道主義的な人が受賞することがありました。
しかしWW2後は社会に対して批判的な人が受賞することが多くなりました。
今年2015年に受賞したスヴェトラーナ・アレクシーヴィッチ氏はジャーナリストとして戦争取材をし、多くの本を出版し、講演活動をされています。
ノーベル賞の名に恥じない、立派に人類に貢献する活動だと言えます。
誰も文句はないでしょう。
 
2、村上春樹氏は?
 ここまで語りながら、私は村上春樹氏の本を1冊も読んでいません。
「読まず嫌いはダメ」と思って『1Q84』を書店で立ち読みして、「やっぱり無理だ」となったクチです。
だからこの記事も眉唾程度と思ってください。
 しかし、世界中で村上春樹氏のファンがおられる。
言語が違っても、読者の心に響く何かがあることは疑いようがありません。
日本が誇る作家です。
 
魅力はなんでしょう?
英語の翻訳にかかわった人のインタビュー記事を読んだことがあります。
 
 
英訳者は「気取ったわざとらしいようなものがなく、読者の心にストレートに届くのです」と語り、例を引用します。
 
たとえば、『パン屋再襲撃』という短編がありますね。海底火山の比喩があります。主人公が突如襲われた「特殊な飢餓」を説明するために次のような記述があるのです。
① 僕は小さなボートに乗って静かな洋上に浮かんでいる。②下を見下ろすと、水の中に海底火山の頂上が見える。③海面とその頂上のあいだにはそれほどの距離はないように見えるが、しかし正確なところはわからない。④何故なら水が透明すぎて距離感がつかめないからだ」(『パン屋再襲撃集英社文庫、15ページより)
 
 今のノーベル文学賞とは相いれない魅力がある。
これこそが今の村上春樹氏なのではないでしょうか?
今のノーベル文学賞は世界人類のために貢献する言論活動をした人に贈られる賞になっています。
一方村上春樹氏は、乱暴に言ってしまえば「メチャクチャ著作が売れてる」というだけです。
そしてその人気がある理由となっている文章が、世界人類のためにはなっていない。
非常にシンプルな理由です。
 
 その他のノーベル賞に視線を移しても同様です。
日本人が多く受賞しましたが、どの人も命を救っておられます。
世界人類に貢献しているということです。
2015年はそれが顕著です。
 
物理学賞…ニュートリノに質量を発見。生命誕生の謎に前進。
 
科学賞…DNA修復の研究に貢献。癌治療に寄与。
 
生理学・医学賞…感染症治療法の発見。マラリアの治療法を新たに発見。
 
文学賞…戦争ルポルタージュの執筆及び講演活動。
 
平和賞…チュニジアで平和的に政権移行を行い、民主化に貢献。
 
どうでしょうか?
私はここに村上春樹氏が加わるとはとても思えません。
ファンは受賞を望んでいるようですが、受賞してもしなくても、村上春樹氏の凄さは変わらないはずです。
箔がつくだけです。
それをファンが望むのはいかがなものかと思います。
まぁ、一部でしょうけど。
 
 

ブックマークについて

 久々にブックマークを見ると、「人の生活を豊かにしたのは評価されないのか」という文言が見られました。
それでは足らないと思います。
 まず人の生活を豊かにするというのは、非常に主観的な評価です。
あるいは人の生活を豊かにする本は腐るほどあります。
ビジネス・宗教・教科書・文学……全てのジャンルにあり、無数です。
そうなるとノーベル文学賞候補者を選定するのにより高い次元の基準を設定するほかありません。
 どんな賞でも受賞するには、人の生活を豊かにしたという客観的な事実が必要となります。
しかもそれはファンが生み出した身内だけの文化や活動だけではなく、それ以外の人々の心の琴線を弾くようなものでなくてはなりません。
自然や災害、争い、精神世界といった世界共通の問題を取り扱う作品を書いた著者に絞られるのは成り行きとして納得できます。
つまり個人的な満足による「豊かさ」ではなく、それが多くの不特定多数の人に伝播していって国や人種が「豊かさ」を向上させる。
そういうものを世界的な賞は求めている。
 村上氏の作品で語られるもの一つに「やれやれ」と諦めと受諾の言葉があります。
「やれやれ」は個人的な感情の吐露です。
これで多くの人々を動かせるとは思いません。
またそれで世界が良い方向へ動かそうという文化や活動が息づくとも思えません。
カズオ・イシグロ氏も似た言葉を使っていますので対比されますが、先に述べたようにそれが自省としての言葉だけに留まらなかったから評価されたのだと思います。
村上氏はそういうところから抜け出ないとノーベル文学賞の受賞はないと思います。
それでも「世界の村上春樹」に変わりありません。
誇るべきです。
 
 

追記

*2016年にノーベル文学賞ボブ・ディランさんが受賞されました。
前から歌詞が文学的であり、文学賞をという流れがあった中でようやくです。
おめでとうございます。
 
*2017年にノーベル文学賞カズオ・イシグロ氏が受賞されました。
おめでとうございます。