On bullshit

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本、読み終えた。ブライアン・クリスチャン『機械より人間らしくなれるか?』

 「実はこのブログはAIが書いていたんですよ!」

「ナ、ナンダッテー⁉」

んなわけないです。(´Д`)

 

文庫 機械より人間らしくなれるか? (草思社文庫)

文庫 機械より人間らしくなれるか? (草思社文庫)

 

 

本書目次

第1章 “最も人間らしい人間”賞への挑戦
第2章 ボットにアイデンティティはあるか
第3章 「自分」とは魂のこと?
第4章 ロボットは人間の仕事をどう奪う?
第5章 定跡が人をボットにする?
第6章 エキスパートは人間らしくない?
第7章 言葉を発する一瞬のタイミング
第8章 会話を盛り上げる理論と実践
第9章 人間は相手の影響を受けずにいられない
第10章 独創性を定量化する方法
第11章 最も人間らしい人間

エピローグ ガラス食器棚の得も言われぬ美しさ

 

 

 

 twitterで話していた人が本当はチャットボットだったという話は世界レベルならいくつも起こっているようです。図らずもネット中心の私たちは人間と機械を見分けることができるのでしょうか?

 

 本書はチューリング・テスト――審査員が機械と人間の2者とチャットをして、チャット相手を機械か人間か判断する大会――で「最も人間らしい人間賞」を受賞しようと奮闘する話です。

著者はコンピューター科学と哲学の学位を、そして詩の修士も取得していることからテスト勉強(?)もそれらに偏っています。

 対策するべきは2つ。

  1. 審査員対策。人間らしい会話とは?
  2. AI対策。言葉にするためのアルゴリズムとは?

 

1について

 

 チューリング・テストはチャット、すなわち文章のやりとりになるわけですが、人間は文章だけで会話するわけではありません。

 たとえばアマゾンの奥地のピダハンという部族は口笛だけで会話ができます。そうでなくても、私たちは身振り手振りや表情でもコミュニケーションをできています。むしろそれができないのは発達障害などの診断が下りるようです。それが一能力としてのコミュニケーションに絞られた障害なのか、あるいは人間として欠陥があるのかはわかりません。とにかく人間は言葉だけのやりとりだけで生きているわけではありません。ロマンチックなシーンでは人間はただ黙っているだけのコミュニケーションもあります。そういった複雑なコミュケーションを審査員にアピールできるかがポイントです。

 しかしコミュニケーションを円滑にするために私たちは言葉と意味を固定し、拡散しています。‘’twitter‘’も「(鳥の)さえずり」や「(人間の)クスクス笑う」という意味よりもSNSの名称のほうが一番に浮かぶようになっています。AIも早く答えを出そうとすると全ての意味をリストアップするのではなく、一番ネット上に漂流している定義を優先します。携帯の予測変換のように。

 つまり人間はコミュニケーションがAIよりも複雑な一方で、円滑性を高めるにはコミュニケーションをAI寄りにする必要もあるということです。

「イラッシャイマセー。ゴ注文ハ、オ決マリデショウカ?」

 

2について

  語彙が多いと情報エントロピーは高まると本書は書いています。ある小説の第1章と同じ文字数で「あ」を入力して、両者を圧縮すると前者のほうが圧倒的に圧縮できる量が小さいことがわかります。

私たちが同じことを書く場合で「多々」とか「〃」とかのように省略するのも圧縮です。つまり圧縮量が小さい文章というのはそれだけ知的であり、機械的はないと言えるのではないか?そんなことを著者は考えてチューリング・テストに挑みます。

 

 

 まぁ本書の終わりは誰でも予想できるであろう終わり方になってます。「現実/今この瞬間が素晴らしい」みたいな締めくくり方。

そしてそれには同意せざるを得ない。AIはそれをわざわざ定義づけされなければ分類できないからです。そして私たちは過去を思い出して、思い出し笑いやフラッシュバックしたりします。過去を今のように思える。

人間は今を感じる。機械は今を入力される。

この違いが小さくなっていったら、私たちは人間と機械を見分けるのが困難になるでしょう。今でさえ難しいのに。

 

 訳者あとがきに紹介されていたチャットボットと会話できるサイトを掲載しておきます。日本語対応は確認したところ4つでした。

https://www.chatbots.org/

ただ訳者あとがきによると「会話らしい」会話はできなかったとのこと。英語より日本語のほうが複雑らしいです。だからといって複雑な言語を持つ民族・人種が最も人間らしいとは言ってはならないことですし、正解でもないです。

 「人間らしい」とは一体何でしょうか?創造性があることですしょうか?私は本来意味のない質問だと思っていました。「~~さんらしい」とは言っても「人間らしい」はただの反芻です。そこに機械が迫ってきています。

 ただし「人間らしい」というのは人間が評価した基準であり、評価対象は人間より下位であることを暗に言い表しています。逆に機械が評価しても人間はそれを拒否できます。現実を生きているのは人間だからです。だからこそ意思や心を持った機械の可能性に不安があったのです。

そんなことは関係ありません。ただ生きていれば人間なのです。実存は本質に先立つ。だから強い!

 

実存主義とは何か

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