本、読んだ。河野哲也『暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討』
薄いのですぐです。
本書目次
第1章 脳の時代と哲学
脳科学の発展/能は可塑性に富んだ臓器である/教育分野への応用/脳科学への不安/脳神経倫理学/哲学は素人のための知
第2章 脳と拡張とした心
心はどこにあるのか/現代の心の哲学のはじまり/拡張した心/道具は心の一部/環境との関係性としての心
第3章 マインド・リーディングは可能か
心を読む技術/マインド・リーディングの問題点/脳だけを調べても、計算や作文の仕組みさえ理解できない/ラベリングは曖昧かつ社会的
第4章 社会的存在としての心
脳局在説の先駆としての骨相学/心的機能の分類の必然性/心の社会的構成/心は機能の集合ではない/最も可塑的な臓器としての脳
第5章 脳研究は自由意志を否定するか
リベットの実験/リベットの研究への疑義や反論/人間はいつ決意するか/自由はどこにあるのか/目的の選択も手段の選択も同じ/脳の可塑性の意味
第6章 脳神経倫理
ニューロシックスの成立と進展/脳テクノロジーとエンハンスメント/脳科学は心理主義に陥ってはならない/脳研究の思想と科学技術リテラシー
筆者がこの本で主張したことは、最後の章に集まっています。
”人間を人間らしくするのは文化と教育であって、ぼくらの体に埋め込む機械ではない(コロスト『サイボーグとして生きる』)”
”自己をコントロールすることによって解決すべき問題は存在するだろう。”
クライマックスはこれです↓
脳科学によって、人間の欠陥を補うべきか?誰が、誰に、どれほどの度合いで行うのか?といったことを考えなければならない、ということでしょう。
また筆者は脳に解決を求めすぎだと心配しています。医療目的に脳科学を用いることを反対する人は少ない。しかし、教育の現場はどうでしょう?
教育という難しさを、薬物や直接脳に差し込む電極によって解決するべきでしょうか?筆者は反対します。
考えてみるとそうです。人間の記憶能力などは増強するでしょう。しかし、人為的にそれがなされるということは、教育の押し付けになります。筆者は昔ながらの教育方法を助長すると指摘します。だからこそ、科学者は従来の閉鎖的環境から抜け出て、他分野で協調しながら倫理を考えなければならないという。
やはり、公教育や一般人の教育などにはそう簡単には使われないでしょう。治療がほとんどだろう。もっと言えば、脳科学を利用した治療を、どのように説明して、どのようにサポートするかという現実的な手続きの問題が重要です。