本、読み終えた。ホーソーン『緋文字』
- 作者: N.ホーソーン,Nathaniel Hawthorne,八木敏雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/12/16
- メディア: 文庫
- クリック: 166回
- この商品を含むブログ (37件) を見る
本書目次一 獄舎の門二 広場三 認知四 対面五 針仕事をするへスター六 パール七 総督邸の広間八 妖精の子と牧師九 医者十 医者と患者十一 心の内側十二 牧師の勤行十三 へスターの別の見方十四 へスターと医者十五 へスターとパール十六 森の道十七 牧師とその信者十八 あふれる日光十九 小川のほとりの子供二十 迷路の牧師二十一 ニューイングランドの祝日二十二 行列二十三 緋文字の露呈二十四 結び本記事目次誰だ?読了するまでネット検索してはいけないネットは答えを一つに絞り過ぎている罪と自由全体的には明るいコントラスト文量は多いが読みやすい
誰だ?
ストーリーはいきなり17世紀ボストンの獄舎前で観衆にさらされながら赤子を抱く美女のシーンから始まります。間男と姦通したらしいのです。教会は慈悲により、3時間「A(姦婦を意味する)」の緋文字が刺繍された上着を着て、観衆の前で立たせるだけにした。しかし牧師がいくら「間男の名を言え!」とまくし立てても美女は口を割ろうとしない。少しショッキングな出だしです。
読了するまでネット検索してはいけない
ちなみに、緋文字をネット検索すると壮大なネタバレがすぐ目にとまるので楽しみたい方は検索しないように。姦通した男の名がわかってしまうんです(笑)検索するんじゃなかった。とはいえ、正体は中盤で誰でも予想できるようになっています。まぁ読みながら「そもそも美女は姦通していない説」とか色々考えてたんですけどね……。すぐ自分のミスリードに気付いてしまい後悔の念が積もります。
ネットは答えを一つに絞りすぎている
しかし読後は誰が正体なのかということはどうでもよくなります。というかネットで書かれている「正体」は小説を読む限りでは必ずしも正しくはないと思っています(Wikipediaの記述も全体的には納得できない)
ホーソーンの狙いを意識すれば、「正体」を特定することはできないからです。というのも終盤ではホーソーンは様々なルートを用意して「事実」は読者が選べるようにしています。ネットの答えはその一つに過ぎません。だからこそホーソーンが意識させたいことがより鮮明になってきます。
罪と自由
この小説でテーマとなっているのは、岩波文庫の表紙にもある通り「自由とは?罪とは?」というものであることは確かです。主要な登場人物が(告白をしないがために)自分の罪に対する苦しみや感情を記述する箇所が全章で散見されます。
この読書感想文を書くとき「自由とは?罪とは?」という質問に対する自分なりの答えを書こうとしましたが、ついにシンプルな回答は出せませんでした。
全体的には明るいコントラスト
始まりの記述は暗いし、登場人物は苦しんでいる。終わりも決して幸せとは言えない。部分的に抜き出していけばこの小説はかなり暗いイメージになるでしょう。しかし読後感は太陽を浴びているような暖かさがあります。解説のページでもホーソーンの小説は明るく、そして深いということ、そしてそれをホーソーンの生涯と結びつける研究が多くあることが示されています。
これらのことは本文でいえば重要人物である牧師によるものがあります。自分の罪に向き合うとは何なのか。誇張していえば、罪それ自体の群像劇のようにも見て取れます。罪それ自体が物語内で揺れ動くため「罪とは?」に明確な答えを示すことができないのです。
罪とは償うべきものだ、意識するものだ、罰せられるものだ……etc。どれもしっくりこないのです。読者が「罪とは?」に解答を出すとき、自分に対する罰(?)のようなものが立ち現れてくると思います。そして自ずと「自由とは?」の解答も固まってくるのでしょう。提示されたテーマに答えることができないというのは、現代小説ではなかなかないと思います。この小説は答えを得たり出したりするものではなく、味わうものとして扱うものだと思います。
分量は多いが読みやすい
本文は全部で24章。序文の「税関」を除けば314ページ。章立てですが1章は12ページくらいでしょうか。体感としては6回ページをめくれば1つの章が終わる感覚です。こまめに読めます。
宗教的な記述も多いには多いのですが、一般的感覚で理解できるものです。ダン・ブラウン原作の映画『天使と悪魔』からなるシリーズなどを観ていれば視覚的に理解できるかと思います。また映画化もされているようです。
私自身某古本屋チェーン店で見かけて買ったものです。どこでにでも置いてあるものですので手に取りやすいと思います。