読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

On bullshit

読書感想文、社会評論、その他を自分勝手に。

思ったこと 感じたことを そのままに

美術館、行ってきた。MIHO MUSEUM『和ガラスの美を求めてー瓶泥舎コレクションー』と『古代オリエント美術の愉しみーエジプトから中国までー』

2017年5月21日に行きました。

2017年6月18日まで開催。

  • 大人1100円
  • 高校、大学800円
  • 小学、中学300円

鑑賞時間はゆっくりみて2~3時間ほど。

 

続きを読む

本、読み終えた。シーナ・アイエンガー『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』

 

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

 
選択の科学

選択の科学

 

 

 
本書目次
オリエンテーション 私が「選択」を研究テーマにした理由
第1講 選択は本能である
第2講 集団のためか、個人のためか
第3講 「強制」された選択
第4講 選択を左右するもの
第5講 選択は創られる
第6講 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない
第7講 選択の代償
最終講 選択と偶然と運命の三元連立方程式
 
本記事目次
選択の不思議
でも選択はしなければならない
第三講は個人的につらい。
 
 
 医者にこう告げられたとしよう。
「このままだとあなたの半年以内の死亡確率は50%です。手術はできますが、成功確率は30%です」
バカな!そんなはずはない!あなたは違う病院に行ってみた。そこでは
「このままだとあなたの半年以内の生存確率は50%です。手術はできますが、およそ10人のうち7人が命を落としています」と言われた。
あなたは手術を受けるだろうか?それとも受けないだろうか?
 数字が大事、なのは確かです。しかしその示し方次第で誤った認識、選択を行ってしまうことがあるようです。
 選択についての研究は他分野で行われています。脳科学、心理学、経済学、文化学、社会学、犯罪学……。いやすべての学問で取り扱われているといっていいのではないでしょうか。本書では(数字だけではない)選択に関しての出来事と実験を引用して、人間はどのように選択をするのか?選択に必要な素材は何か?といったことを説明していきます。講義録をまとめたものなので言葉は平易。簡単に読み進められます。
 
 

選択の不思議

 とある国ではお見合い結婚が盛んで、またある国では恋愛結婚が多数という実情があります。私はお見合い結婚に抵抗があります。お互いをよく知ってからのほうがいい。
 しかしどうでしょう。筆者が実験した結果は意外なものでした。お見合い結婚では最初こそ幸福度が低いものの、年月が流れるにつれて上昇していく傾向になりました。一方恋愛結婚では幸福度は結婚時をピークに下がっていく傾向を認めたのです。
 お見合いは選択でしょうか?相手を変えることはできるのでしょうが、くじ引きのような感覚でもあります。強制的なものもあるでしょう。
 人は選択権を奪われるのは不安を覚えるのに、最初から選択権が存在しないという状況だとまた感情が変わってきます。
 
 本書にあった例をみてみましょう。(実際にお子さんをお持ちの方にはすみませんが)我が子が生まれようとしています。しかし生まれても生存確率が極端に低いと医者に告げられます。仮に生きたとしても重い障害を持ち、普通の生活はできない。もしかしたら植物状態かもしれない。
「産みますか?堕胎しますか?」
 この選択権はとても重いものだと思います。長い間苦悩するし、どちらを選択しても必ず後悔の念が残ると思います。
 そんなとき、筆者は一つ話をします。国によっては医者が選択権を行使することもあるのだとか。つまり医者が他人の子を産むかどうか決めて実行するのです。あなたなら怒りますか?
 他人の目からすれば生んだほうがいいという選択が多いかもしれません。そして堕胎を選択して非難を浴びるかもしれません。それを医者が担ってくれるのです。このとき「仕方なかった」や「責任を持つ」という宿命的な選択にシフトするというのです。選択権がないからこそ安心できる。そんなこともある。
 最初の質問を思い出してください。死亡する確率50%より、生存する確率50%と言われたほうが希望が多いと感じませんか?選択権を持つのが怖いのは、このような言葉によって間違ったことをしないだろうか。専門家と違う見解になりはしないだろうかという不安感がもとなのです。
 
 

でも選択はしなければならない

 自分の生活全てが選択です。朝起きるかどうか、歯を磨くかどうか、何を食べるか、決めることができます。その原因は生理的なものか、人間関係か、金銭的か、健康状態か。様々ですが選択は待ってくれません。
 私たちは選択を恐れないようにしなければなりません。選択すると何かを得て、何かを失うのはよく聞くことです。だから私たちは選択についてあらゆる思考をしなければなりません。知識や方法論、それらを知っておくことは決して完璧な選択を保証してくれるわけではない。むしろ選択が無限大の可能性を秘めている事実を強く認識するだけ。だからこそ筆者は選択には神秘的な美しさがあるのだと締めくくっています。
 
 

第三講は個人的につらい。

 というのも第三講は人間の身勝手さを示すものだからです。それもみんな「自分は特別だ、他の人とは違う」という思い込みを暴露する話だらけなのです。
 たとえばAとBというマニキュアがあります。もう一方にはエメラルドとグリーンというマニキュアのラベルが貼られています。女性をグループ分けしてそれぞれ感想を聞いたのです。みんな思い思いの意見を言います。実は上記の4種類のマニキュア、全部同じ色なのです。でも「私はこっちのほうがキラキラしてる」と言ってしまうのです。一種のラベリング効果ですが、これも人間が自分の能力を信じている(過信?)からなのです。
 もちろん特別な人はいます。人よりも多くの色を識別できる人や共感覚、飛びぬけた記憶能力など……。なぜ特別と呼ばれるのか。それは単純なこと、明らかに違うからです。世の中のシステムや社会制度を吹き飛ばす力だとわかるからです。そして私を含めて多くの人は明らかに違うところはない。
 いやそんなはずはない。他の人は仕事をしっかりやれてる。ちょっと状況が違うとすぐできなくなってしまうような私とは違うじゃないか。私とあの人が同じだって?
第三講は最初は反発するものの、それから鬱屈としてしまいました。
 
ここで大事なのは、私にはまだ「特別になろうとする気力がある」かどうかを確認できることなのです。すなわち
To be or not to be, that is the question.
なのです。
Be! Be! Be!

夢、見た。THE BIG SHOW

 足早にショッピングモールを歩いていた。受付で働いていた女性が私の名前を呼んだが無視した。私はショッピングモールに用はなかったらしい。

 
 片田舎にいる。地方の保健所とか老人ホームがあるようなところ。つまり周りは田んぼが点在しているようなところにいる。
 そこに古びた建物があった。階段が建物を取り囲んでいた。それは高く、天まで伸びていた。露に濡れた草に触れながら、右回りの階段を上った。
 
 すると、途中から音楽が聞こえてくる。ジャズだった。シンフォニックジャズなどではなかった。サックスが激しくなっていた気がする。建物の右隣からきこえる。キャノンボール・アダレイクインテット(1959, in Chicago. ウィントン・ケリージョン・コルトレーンポール・チェンバースジミー・コブ)の『グランド・セントラル』のような感じだった気がする。似たようなものはたくさんあるが、とにかくそんな感じだった。
 
 
 その時シスターと女の子が物陰でコソコソと話していた。
「いい?この階段はいつもは登っちゃダメだけど、今日は特別。音で聞こえないからね。さ、行きましょ」
シスターの話を聞いて女の子は興奮気味に、でもしっかり声は押し殺して、うんと言った。私は身を隠せるようにすぐ階段を降りた。入れ替わるようにシスターと女の子が階段をカンカン上る音が聞こえてきた。音は小さくなっていった。
 
 建物を通り過ぎると野外コンサートの会場があった。THE BIG SHOWという垂れ幕の下には20人くらいのジャズ奏者がいた(人数からしてスウィング・ジャズ?ぽい)
観客は30人ほどと少ない。
 だがもっと気になるのは指揮者のような人がタキシードではなく、道化師のような服装を着ていたことだ。小太りで、白ひげをアゴからもみあげまでこしらえている。演奏が終わり、拍手をもらっていた。
 道化師は人差し指を立てると
" Today is special !! "
と言った。道化師はシルクハットを手でつかみながら観客席を通り過ぎて、とうとう姿が見えなくなってしまった。
 
 あとを追う。あまり離れていない建物の裏手に、木材が多く捨てられていた。無造作に置かれているが、ステージのように平らになっているところがある。さっきの建物とはまた違うようだ。
 そこにはカメラが三脚で立てられていた。道化師は木材を足で蹴っておよそ平らにすると、踊り出した。
 コンサート会場からも演奏が聞こえ始めた。カメラの映像はコンサート会場にも映し出されているようだ。また激しいジャズだった。バディー・リッチの『Nutville』のような、ドラムの超絶技巧が冴えわたっていたように思う。
 
 
 道化師はコサックをしたかと思うと、ただ体をくねらせるだけといったことをやった。カラーライトが当てられ、道化師はいろんな色に染まった。
 演奏が終わり、先ほどよりも大きな拍手が起こった。道化師は私に目線を向けて言った。
" Everything. Everything is special day. "
 

本、読み終えた。アレクサンダー・モンロー『紙と人との歴史 世界を動かしたメディアの物語』

 

紙と人との歴史:世界を動かしたメディアの物語

紙と人との歴史:世界を動かしたメディアの物語

 

 

本書目次
第一章 紙の来た道をたどる マルコポーロが見た紙
第二章 文字・粘土板・パピルス
第三章 古代中国の文書
第四章 紙の起源
第五章 中央アジアの発掘から
第六章 東アジアを席捲する紙 文と仏教と紙
第七章 紙と政治
第八章 中国からアラビアへ
第九章 書物を愛でる者たち
第一〇章 本を築く
第一一章 新しい音楽
第一二章 バグダードからもたらされた紙と学問
第一三章 大陸の分断
第一四章 ヨーロッパを翻訳する
第一五章 新たな対話
第一六章 大量に印刷する
エピローグ 消えゆく軌跡
訳者あとがき
 
本記事目次
満ち満ちた詳述
紙の歴史も弁証法的なのか?
言語は紙によって進化した
 
 朝起きてトイレットペーパーを使う。その日一日やることをメモ用紙に書きだす。電車では本を読む。会社やコンビニでコピーを取る。デスクや講義室で付箋を貼る。
 これらの源が蔡倫から始まったのは承知の通り。中国から中東へ、そしてヨーロッパへと伝播したのも世界史としての常識。ではどのような経緯があって?そこには驚くようなものはないかもしれません。
 しかしかつては家畜用だったじゃがいもも、今は様々な料理に使われているように、紙も上級官吏や貴族のもの、あるいは宗教のため、民のためというように用途が変遷していきました。紙を手にし始めた人はどのような気持ちだったのでしょう。中国では竹簡が高級と受け取られていた時期がありましたが、やがては紙にとって変わりました。そのじわじわとした変化をも逃さず筆記したのが本書と言っていいと思います。アッと驚くような感動はないかもしれませんが、歴史の降り積もりを感じることができ、読後は歴史を味わい深いものにしてくれるでしょう。
 本書は蔡倫以前の紙はもちろんのこと、紙以前の粘土板やパピルス・石・竹簡などについても詳しく述べられています。そしてそれらに関わった人や地理さえも。
 
 
 

満ち満ちた詳述

 人によっては紙の歴史から脱線したと思われても仕方ないくらい、詳しく述べられています。ちょっとでも紙の歴史を語る上で出てきた人物は語りつくす。白居易の人生がまるまる載ってたりします。なのであれ、紙は?と思う場面も少なくありません。
 中国のことについてとても多くのページが割かれているのは、著者が大学では中国語と政治学を、その後上海のロイター通信で勤務したからに他なりません。本書以外の中国関連の本の編集に関わっているのも大きいでしょう。本書の5分の3は中国に触れている印象です。
 紙に関する歴史を知るための発掘現場についても詳しい。考古学が好きな方は読んでみてほしい。とてもドラマチックに書かれています。
 
 
 

紙の歴史も弁証法的なのか?

 口と体の動きで言って見せて覚えていた時代から、石や竹簡・絹帛(けんぱく)に移り変わりました。それが紙に変わり、表現の幅が広がり、宗教や詩、小説といったように描かれるものが変化して庶民に伝播しました。やがて紙に書かれているものが演劇という文化(つまり最初の言って見せた形態)になり、ますます紙の歴史が発展したというのは面白いですね。これが弁証法的なものの捉え方だとするとさらに面白いですね。
 口も体の動きも、石や竹簡・絹帛(けんぱく)も紙も伝える技術です。伝える技術が変化するっていいですね。最新技術もあれば、手紙で文通している人もいる。劇を見に行く人がいる。TVドラマを鑑賞する人がいる。石碑を見る人がまだいる。伝える方法がたくさんあるって、いいですね。
 
 
 

言語は紙によって進化した

 伝える方法が変われば、言葉も変わる。調達が難しく貴重だった粘土板や石では余計なことは書けません。竹簡に書いていたのは上級官吏など限られた人たちだけでしたので、言葉も特殊になっていました。それがやがて紙に変わると自由に表現する余白が生まれ、書道も大胆になるのを許しました。
 表現する幅が生まれ助動詞などの品詞も進化したようです。私たちが言葉を操れるのも、紙ありきのものだったのですね。
 
 まだ1回しか読めていません。あまり頭の中でまとまっていませんが、紙に至る歴史と紙に至った後の歴史をじっくり追いたい方は、これほど詳しく述べられた本はなかなかないと思いますよ。
 
紙は、検閲を免れることも、プロパガンダを退けることもできないので、常に質の高い内容だけを届けるとはいえない。真実を届けるという保証すらない。それでも紙は、可能なことは何でもしてきた。そうすることで、声なき無数の読者に力を与えてきたのである。(444ページ)
 

本、読み終えた。浦島匡・並木美砂子・福田健二『おっぱいの進化史』

 

おっぱいの進化史 (生物ミステリー)

おっぱいの進化史 (生物ミステリー)

 

 

真面目な話です!