本、読み終えた。美内すずえ『ガラスの仮面』(1~49巻)
前々から読もう読もうと思っていましたが、一度読み始めると「早く続きを!」の状態になりました。
超有名作品なので説明不要ですが、念のためおさらいします。
主人公北島マヤは何をさせても不出来な子。それでも映画・ドラマ・芝居・演劇を見ているときは人が変わったように集中力を発揮、一度見た台詞と身のこなしは高いレベルで完コピできてしまう天性の女優でした。
そんな北島マヤを町中で見たかつての大女優月影千草は、演劇の世界へ招き入れ女優への道を歩ませる。
しかし女優の世界には異常な努力に努力を重ねて、親の七光りを吹き飛ばそうと活躍する姫川亜弓というライバルがすでに幅をきかせていた。
そして早いときから月影千草が明かした伝説の『紅天女』の再公演。
それは誰もが演じたがるものだったが、『紅天女』とは梅の木の精霊という、役の理解が困難を極めるものでした。
月影千草はその梅の木の精霊を演じた伝説的女優となって、『紅天女』の上演権を所有していました。
月影千草は後継者に上演権を譲ること、そして後継者候補者を北島マヤと姫川亜弓に限定することを公表し互いに競わせるという話です。
これを読んで日本の俳優・女優の見る目が変わった
「役になりきる」
思えば自分の感情や論理を隠すのとは違うレベルでの話です。
生まれや育ちどころではなく、人生が違う人をどうやって演じるのか。
本書においても様々な試行錯誤が重ねられています。
北島マヤは
- 人形の役を研究するために竹で体を固定した。
- オオカミに育てられた少女の役を研究するために山籠もりした。
- マザー・テレサを理解するために一日中目隠しした。なお誤って2階のベランダから転落しても役のままだった。
姫川亜弓は
- 恋の目をしていないと言われ、近くにいた男を捕まえて恋愛の練習をし出す。
- 貧しい生活を味わうために路上で物乞いホームレスになりきる。
- ボロい劇場に住み込んで貧しい生活をした王女になりきる。なお「最適な場所」と言った。←一角獣に謝れ(笑)
どっちもクレイジーなことをやります。
そりゃ白目蒼白にもなるってもんです。
近年「役を研究しているだ」と明らかに感じたのは『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』のドラマバージョン。
主人公九条櫻子さんを演じる観月ありささんは明らかに原作とアニメを拝見したか、指導があったと思わせるものだったと記憶しています。
アニメ声優もすごいですよね。
「最近のドラマはつまらなくなったなぁ」
と言える原因はあるかもしれませんが、それで大根役者ばかりとまで言い切ってしまう偏見はなくなったかな?と思います。
いろいろ事情があるでしょうし。
そう思うとドラマや映画よりも、演劇の方が役者さんの本気が見られるのかな?と予想しています。
読んだことがある文学作品が演劇であったら、ぜひ観劇したい。
演じるとは
作中で月影千草が「他人の人生をいくつも体験できることは贅沢」と言ってました。
私たちは「あいつはああいう奴」と言われて「ああいう奴」という仮面を取得して生きています。
誰だって抑圧されず自分らしく生きていたいと思うはずですが、なかなかそうはいきません。
自分という素顔・「ああいう奴」という仮面・社会常識としての仮面、
それらの仮面を少しずつずらして生活しています。
それを真正面から身につけるというのは恐ろしいことです。
とてつもない制約が課されるのではないかという形のない不安があるからではないかと思います。
でも外部にある仮面はあらかじめキャラクターという制約があります。
他人になることでむしろ自分の秘めたる欲求を外部へ放出することができる。
自分が今まで身につけていた仮面の放棄。
お祭りや儀式はより広く、地域を日常から切り離します。
そうして普段は行えないことを行い、お互いの欲求を再確認する。
それを毎日、というのは確かに贅沢かもしれません。
早く続き読みたいなー!