スポーツで暴力行為は結構普通にある。
現在、日大アメフト部の悪質なタックル行為問題が世間を賑わせています。柔道部だった経験から私見を語りたいと思います。
前提として、暴力行為は普通に経験する
どのようなスポーツにも反則レベルのことをやる選手は存在します。柔道ではこんなことがありました。
・足払いがただのローキック。
しかも執拗に同じ箇所を攻撃する。試合後、内出血して腫れているのに気付く。これは柔道の技ではなく、総合格闘技になっている。しかしそれで試合を止めることはできない。なぜなら技が上手いかどうかなども考慮にはいるためだ。
・寝技をかけているように見えて、総合格闘技のように頭部に打撃を加える。
寝技では相手の襟の近くを持つことは有効だ。仕掛けられている側の選手も当然持たれないようにガードする。無理矢理ねじ込むことはあるが、明らかに打撃を加える意図も含めたねじ込み方がある。それは拳を丸めて、グーの状態でスピードをだして突っ込む行為だ。頭が揺れるのでガードが甘くなる。
これも明らかに暴力行為と受け取られない限りは、試合を止めることはできない。
・立ち技中に相手の胸襟を持ちつつ頬を殴る。
柔道では通常、相手の胸襟と袖を持って技をかける。しかし胸襟を持ちつつ相手を殴る行為は可能だ。何故なら胸襟も袖も持たれると、技をかけられる。そうさせないために振り払うことは普通にある。客観的に見れば殴る行為と振り払う行為との線引きが難しいからだ。
ちなみにこれをされた私はぶちギレて、全体重を乗せた払い腰をかけた。相手の腹にぶつけたものだから、ボクシングで例えると全力のボディブローをしたような力が加わっただろう。相手はしばらくうずくまり、苦しんでいた。私は黙って見下ろしていた。審判も、黙って見下ろしていた。わかる人にはわかるのだ。
ただ、感情が高まるとスポーツとしての技なのか、ただの暴力なのか区別がつかない場合があります。だから誰もがスポーツと暴力を行来したことはあると思います。
監督や顧問からの「精神言語」と表現方法
スポーツにおいて声かけと技術的指導は解離があります。海外では「アゴを引け!」など具体的な指導が多いと聞きます。体のパーツ毎に指導をした方が成長が早く、「腹から声出せ!」のような現実と違う表現方法による指導だと成長が遅いというのが明らかになっています。
そしてもうひとつ指摘したいのは、上記に平行して言語表現です。すなわち、伝えたいことは同じでも
- 「ギュッと押さえつけろ!」
- 「窒息死させるくらいでやれ!」
と言われれば、力が出やすいのは残念ながら後者なのです。なので「壊してこい」ではなく「壊すくらいの気持ちでやれ」には相当な解離があるのです。もちろん後者はスポーツ界ではどこでもあるように思えます。
こういった言葉がニュースになると恐ろしいことに聞こえてしまいます。日大アメフト部の場合は指示という形で伝えているので問題なのです。だから前監督も檄を飛ばす形で言ったという方向に釈明をするのではないでしょうか。