本、読み終えた。岡田尊司『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』
本書目次
第一章 新たな「種」の誕生!?
第二章 回避性愛着と養育要因
第三章 社会の脱愛着化と回避型――近代化と、過密化、情報化がもたらしたもの
第四章 回避型の愛情と性生活
第五章 回避型の職業生活と人生
第六章 回避の克服
第七章 愛着を修復する
おわりに
愛着スタイル診断テスト
本記事目次
愛着スタイルという考え方
回避性愛着障害と現代
愛着スタイル診断テスト
愛着障害は固定的ではない、治療可能、脱出可能
「孤独な人」とは言うものの、そのスタイルにはいろいろあると思います。
引きこもり、独りやもめ、一家離散、未婚。
登山、クライマー、経営者?
そのどれにも属さないが、いつかは属することになるだろう人たちの背負ったもの。それが回避性愛着障害です。
パーソナリティー障害にはスキゾイドなどのように孤独でOKという人もいるみたい。対して回避性愛着障害は人間関係を希求してはいたけど、そうならなかった人たちです。
なぜこんな本を読んだか?「自分もこれかも?」と思ったからです。
「愛着スタイル」という考え方
愛着スタイルを親とのかかわりによって形成される、人間との信頼関係の土台となるものらしいです。生まれてからすぐに独り立ちする生物がいる一方で、かなり親と寄り添う生物もいます。当然人間は後者です。
親とのかかわりが少なければ、その後の他人との関係もギクシャクする。そして早死にするのは猿でも人でも同じことが実験で確かめられています。
回避性愛着障害と現代
親子が肌身を離れずに育てることで愛着スタイルが安定したものとなるならば、それが崩れたときは将来的に回避性愛着障害になる可能性が生じます。
特徴としては以下のようなことがあります。
子ども時代は
- よく泣く
- 極度に攻撃的
- ストレス性の症状が現れる(じんましん等)
などがある。
そのまま大人になると
- 自己開示が苦手
- 親密な人間関係が築けない
- チャレンジ精神がない
- 新しいこと(就活、引っ越し等)に不安がある
- 自分の気持ちや感情に鈍感
- 自分に子どもができても興味がない
- 他人の悲しみの感情には同情というより嫌悪の気持ちが強い
- 自己主張はなく、静かに身を引くほうを選ぶ
- 自分の人生に無関心
これらは親が頼れる存在――本書では「安全基地」という名前が付けられている――ではなかったがゆえに、親よりも関係性がゼロな他人は信頼できないと学習した結果です。そうすることでこの世を生きる術を身に着けたと言えるのです。しかしそういう一匹狼的な存在は人生の失敗者として位置づけられることが非常に多いです。
過去に面接で「友達はいません」と自分なりに”自己開示”したことがあります。面接官は「え……」とドン引きしてましたね(笑)そりゃそうですよね。頼り頼られで会社は回るのに対人関係ありませんって言ってるようなものです。「集団に入る気はないけど集団に所属させてくれ」は訳が分かりません。
資本主義の発展と同じくして今の子育てのレールは敷設されました。大変便利になりました。家電の進歩で家事労働の絶対的時間も大幅に減少しました。みんなが働けます。しかし子どもと肌を接する時間は加速度的に減ったと著者は分析します。
そこで筆者は現代社会の在り方に一石を投じます。ほんの二、三時間母親から離されるだけで子どもの脳にはその痕跡が発見されるというのは筆者の弁である。少しでも離れるとマズい。ということは現代のアレは何を意味しているのか?
アレとはつまり、新生児室・ベビーベッド・託児所・保育所です。
泣き叫んでも、応えてもらえない時間を味わうことから、人生を始めるのである。それは、回避的な愛着スタイルへの第一歩だとも言える。
しかし、これは自然状態の新生児や母親にはありえないことだ。
(p91-92)
他の哺乳類は肌身離さずにいるどころか、よそ者を寄せ付けない。それなのに人間は赤の他人に我が子を預けている。不安はないという人が多い。「これは異常だ」と主張します。
「え?ほとんど世界中の人がそういう施設を利用してるんじゃないの?ならほとんどの人が回避性の特徴を備えていないと主張の根拠としておかしくない?」
というのはこの記事内では割愛します。ただ『島耕作』シリーズの主人公がかなり受け身でドライな人間関係なのに、幅広い年齢層の読者に今なお読まれているというのは個人的には特筆すべき点ではないかと思います。他にもドライな主人公のほうがクールでカッコイイという風潮も今は根強いですね。
課長 島耕作 全17巻完結セット (モーニングKC) [マーケットプレイス コミックセット]
- 作者: 弘兼憲史
- 出版社/メーカー: 講談社
- メディア: コミック
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
ルソーは『エミール』で、生まれてすぐに服を着せることに反対なことを言っていました。生まれて自由になったのにすぐに拘束を受けると。これを思い出したのですが、言葉は違えど本書と主張は似ているのかも?ルソーは幼くして母親を亡くしています(こじつけ気味)
とはいえ、今の管理体制はすごいものがあると思います。都会の幼稚園では一人一人の園児のコメントが毎日先生によって書き込まれ、そのコメントを携帯アプリで読めるようになっています。しかもそのアプリでお迎えまで管理しているとか。現代の幼稚園ってすごい。
システムとして進歩はしたものの、本当の理想は肌と肌をくっつけることだと思います。おそらく筆者もそういう面で言いたいのかと。愛されホルモンとか言われたオキシトシンとかもあるわけですし、影響はあると思います。
私は保育園の時代、先生から離れなかったそうです。みんなが運動会を頑張っている中でも余裕で試合放棄です(笑)
また私は保育園に送られてから自力で帰宅したこともあるらしいです(笑)愛を求めすぎです。安全基地を一番この世で信頼できる先生で代用したかったのでしょう。
父は子育てに全く参加しなかったそうです。おまけに酒乱。母はフラストレーションが溜まっていたことだろうと思います。そして今は少しでも帰りが遅いとすぐに心配します。過保護なのもよろしくないそうです。おじいちゃんおばあちゃんも苦手でした。私にも下地はあったということですね。
愛着スタイル診断テスト
巻末資料として回避性愛着障害なのか、あるいは別の愛着障害なのか診断するチェックリストがあります。やってみました。
これは質問に回答して各愛着障害に該当すればポイントが増えて、一番多いものが自分が抱えている愛着障害となります。
回避性が孤独になりやすい人、不安型は誰かに頼らないと行動できない人、未解決型は愛着障害となった過去にケリをつけられていない人、大雑把に書くとこうなります。安定型は正常という位置づけです。
私の場合のポイントと傾向は、
- 回避性19P>安定型6P=不安型6P>未解決型3P
どう見ても回避性が圧倒的です。本当にありがとうございました。自己紹介かな?と思うくらい回避性の特徴があてはまります。
愛着障害は固定的ではない、治療可能、脱出可能
自分の人生を生きることができるかは自分次第です。本書では愛着障害の特徴を備える偉人たちがどのように”脱出”したか、引き合いが多く出されます。
エリック・ホッファー、J・K・ローリング、エリク・エリクソン、井上靖、山頭火、カール・ユング、森田正馬、鳥羽博道、著者自身である岡田尊司、その他多くの障害を克服した人たちが紹介されます。
きっかけがあれば克服できるのが愛着障害だと力説します。それは好きな人のため、貧窮したからなど様々です。とにかく壁を乗り越えたらいい。そうすれば自分の人生を生きられるようになる。
著者は言います。
人はいずれ死ぬ。
(p286)
(死ぬという)結果だけを問題にすれば、全員が敗北して終わるのだ。
(p286)
失敗という結果ばかりに囚われるか、そこから自由になって、可能性というプロセスを味わい、それを生きるか。結局、人生は結果に意味があるのではない。その醍醐味はプロセスにある。チャレンジにあるのだ。それを避けていては、人生の果実を味わうことなく腐らせるようなものだ。どうせ腐ってしまうのだ。腐る前に食べて、何が悪かろう。
(p287)