映画、観た。『スタンド・バイ・ミー』
スタンド・バイ・ミー [SPE BEST] [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログ (2件) を見る
映画観た、と言っても何十回と観たものだ。
しかも超有名なやつでしょ。
子どもの頃は面白いと思って観ていたものだ。
それが大人と言われる年齢になると涙がこみ上げてくる。
「もう、あぁはならないんだろうな」と。
12歳の時に持った友人に勝る友人を、その後持ったことはない。
誰でもそうなのではないだろうか?
自分の好きなものにすぐ突っ込むバカなクソガキ。それが12歳だ。
それに付き合ってくれる友人は2度と現れない。
今更意味もなく、かっこいいと思う木の枝を集めてくれる人はいない。
神社でたき火もしてくれない。
一緒に怒られてもくれない。
ケンカもしてくれない。
汚い言葉も、行動も、思い出すしかなくなる。
あの頃は純粋にクソガキだった。
テディの父親と自分の父親
私はテディにも共感している。
あのイカれたメガネのやつだ。
イカれていようがどうだろうが父親であることに違いはない。
そしてその暴力性の中に強烈な解決手段を見出したことも事実だし、実際私を身体的に救ってくれることもあった。
暴力は物理的に恐ろしいことも確かだが、それの脅威は適用範囲があまりにも広い点なのだ。
それを幼年時代に見せられると理解が歪になってしまう。
クリスの弱い面
暴力性に子どもは多感で敏感だ。
私の暴力性に対し、誰も寄り付かなくなった。
今思い返すと、学校内で私はモーゼのように人波を左右にどかすことができた。
みんなヒソヒソと話しながら道を開ける。
肩がぶつかっただけで相手をボコボコにするという事実の流布がそうさせていた。
別にしたくてそうしたわけじゃない。
クリスの言う通り、どこかに行ってしまいたかった。
体育館裏の動物や植物は全くの別世界を見せてくれた。
そこでは暴力をしなければ生き残れない者たちしかいなかった。
それが逆に私の暴力を正当化することを否定した。
私は必ずしもそうしなければならないわけではないと自然が気づかせてくれたのだ。
その結果適度に大人からの理不尽を体験できたと思う。
暴力性を失った分、大人からの仕打ちはダイレクトに効いた。
何をすればいいのかわからなかったから、ひたすらバッタ、カエル、ザリガニなどを捕まえては壁に殴りつけていた。
もちろんクリスのように泣いたりもしたのだがそれだけで、本当に何をすればいいのか見当もつかなかった。
少年時代というのは専らそういうものだとは思う。
今では暴力は振るわない。生物は大切に飼う。植物も無闇に焼かない。
かつてその真逆のことに注目し、称賛していたような(つまり野次馬のような)同級生がいたはずだ。
今ではそんなやつ一人もいない。
全く正しい。
でも大人になるって、そういう一種の野性味を削がれることでもあるのだろうな。
それが個人の社会化なのかはわからないが。
野性味が大人しくなったのが、登山とかキャンプとかジビエ料理とかなのだろうな。
そう思うと野外でも一緒に歩いてくれる友人ってすごく大切だな。
ヒルに玉を喰いつかれるのはごめんだが。