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On bullshit

読書感想文、社会評論、その他を自分勝手に。

思ったこと 感じたことを そのままに

本、読み終えた。ジョン・ロビンソン『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』

読書

 

ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち (光文社新書)

ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち (光文社新書)

 

 

本書目次
第一章 ツイッターのなりすまし
第二章 誰も気づかなかった捏造
第三章 ネットリンチ――公開羞恥刑
第四章 世界最大のツイッター炎上
第五章 原因は群衆心理にあるのか?
第六章 善意の行動
第七章 恥のない夢の世界への旅
第八章 徹底的な正直さ
第九章 売春婦の顧客リスト
第十章 独白劇の捏造
第十一章 グーグルの検索結果を操作する男
第十二章 法廷での羞恥
第十三章 恥なき世界
第十四章 猫とアイスクリームと音楽と
第十五章 あなたの現在の速度
 
本記事目次
事例別の恥
恥の回避
恥の情報を、情報で埋め立てていく
みんな現在進行形で被害者であり、加害者である
 
 

ネットは広大だわ……。

ブログあるいはSNSをやるということは、自分の言葉や環境を開示すること。現実世界では目の前にいる人だけに届ける言葉が、ネット上では世界中の機械に画像とともに表示できる。ただしその感覚は一切感じられません。
 私たちは見たいものを見ている。届けたい人に届けている、気でいる。その意識についつい縛られがちになります。本書に登場する人たちは悪いことしてやろう、人を傷つけてやろうと思いながら言葉を発したわけではありません。しかし叩かれてしまいました。ネットは自由ですが、一瞬でバトルリングに変貌してしまいます。
 
 本書では筆者がそういう状況を経験した人たちに取材していく記録集となっています。客観的に事件の全容が語られ、それから本人や関係者に取材した具体的な筆記に移るスタイル。それらにプラスして、本書のテーマを理解するのに役立つ人物や事柄にも触れるため、筆者の思考を後追いする形にもなっています。ノンフィクションとしても読みごたえがあります。
 筆者はコラムニストで、ドキュメンタリー番組を多数制作しています。ある日Twitter上で筆者のなりすましが登場から始まります。相手は社会的に地位がある人たちで運営されていましたが、なんとか削除させることに成功します。その経験から同じような目にあった人を取材しようと思われたのです。
 
 

事例別の恥

 本文496ページというボリュームの本書。事例は多くありますが、多くの人は自分の言動に対して恥を感じていました。恥を感じることで私生活に大きな影響を及ぼしていたのです。
 筆者はそこから恥を感じなければネットリンチを回避できるのでは?あるいは精神的ショックを受けずに済むのでは?と考えていきます。
 恥に関して、筆者は本書の早くから歴史の中の出来事であった公開羞恥刑に着目しています。筆者はむち打ち刑を例にしています。
 また中盤ではテッド・ポーという裁判官の話を出します。この裁判官は「私は~~をしました」というプラカードを首から下げさせて街中に立たせるという刑を実行していた人です。アメリカでは優しい言葉をかけてもらえることが多かった。だから今では感謝していると、刑を受けた人は語っています。つまりいい恥になったと。
 ん~日本ではちょっと想像できませんねぇ…。携帯でパシャパシャ撮られて笑われるような想像しかできない。でも市中にさらすというのは筆者の言う通り、今に始まったことではありません。
 たとえば(本書にはありませんが)中世の時代は「恥辱のマスク」というものがありました。面白おかしく作られたマスクを被らされ、街中に立たされるというものです。詐欺を働いていたら、口が変な形になる。自分のやったことが形になってしまうわけです。
 

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恥の回避

 アメリカは本当に色々やってるんだな、ということがわかります。一つは複数人で集まって自分の秘密を話し合うイベントを行う人。その人は「徹底的に正直になる(第八章)」のが唯一のことだと主張しています。しかしその場に参加した筆者はその人と合いませんでした。ネットリンチに遭わない、もしくはそう思わない方法論にはならないと感じたようです。
 もう一つは自ら性をさらけ出す手段をとる人。性癖。これも秘密の一種。国際自動車連盟FIA)会長であったマックス・モズレーは、かつてナチス風制服の売春婦5人とのSMシーンをすっぱ抜かれた。何がすごいって字面がヤバい。しかもF1の大元であるFIA会長。ビッグニュースは疑いない。
 しかし予想に反してそれほど盛り上がらず、本人は「ナチス風制服」という言葉を載せたニュース・オブ・ザ・ワールド紙の記事に疑義を呈し、裁判を争い勝利しました。その後人気が落ちるどころかむしろ上がったのでした。
 モズレーは「公開羞恥刑は、刑を受ける者が恥ずかしいと思うから成り立つものです。当人が恥ずかしいと感じなければ、全ては崩れます(273ページ)」と語っています。
 確かに。これを確信したければヤフーの記事に感想を書けばいいと思います。どれだけまともなことを書いても必ずネガティブな批判がきますから。そんなものだと思います。逆にヒドいことを書いてもスルーされることもあります。そんなものだと思います。
 
 

恥の情報を、情報で埋め立てていく

 終章に向かうと、グーグルの検索結果に都合の悪い情報を表示させないように計らう企業が紹介されます。実際に本文で紹介されたネットリンチにあった人の悪い情報が「ほぼ」消失したようです。
 みなさんもそうだと思いますが、検索結果を2ページ以降にさかのぼるのは稀だと思います。その前に検索ワードを変えたりするはずですから。
 確かに同姓同名の人にとって利益になります。しかしその企業は明らかに残しておいたほうがいい情報を消してほしいと依頼してくる人に頭を悩ませています。日本でも犯罪歴を忘れられる権利を引き合いに削除を要請した原告が棄却されていましたね。
 今の自分と、ネットの自分は違う。それを調整する企業はあっていいと個人的に思います。しかし度が行き過ぎてしまうことも時には企業にとって利益になります。実際に情報を「ほぼ」消してもらうことに成功した人は(ネットリンチにあって言葉がかなり大人しくなったが)「一線を越えてしまいそうになる」と感じていました。
 ネットの情報が自分の評価に直結する。それを企業に依頼している。自分の事実に立脚して、情報として挙げることに抑えてはいるものの、それを作り上げて企業に伝えることもできる。
 本書によれば、グーグルは新しい情報と古い情報を好むそうです。つまり新しくアップされる情報と、残り続けている情報です。これらが互いに検索結果の上位に時々浮上する。残り続ける情報に対して、新しい情報を物量戦でアップして特定の情報に地層を作っていく。グーグルは時々この地層を掘り起こす作業をしていると言っていいと思います。
 
 交通警備の仕事をしたことがあります。道路のコンクリートは意外に薄い。厚さは5センチほどです。その下はどこからか持ってきた下地としての土砂です。それが分厚くなっていてようやく裸の、その下に元からある土になります。
 これは実際に仕事をしてみなければ実感できません。そうでなければ私たちはコンクリートしか見えません。コンクリートがひび割れて、その隙間から出てくる雑草を嫌う人もいるかもしれません。でもコンクリートしかない街なんて嫌です。ネットに置換するとどうでしょう。
 
私たちがインターネットの出現以後、作り上げた世界は、ただ愛想良く無難に振舞っているのが一番賢い――そういう世界のようである。(453ページ)
 
 

みんな現在進行形で被害者であり、加害者である

 ツイッターがよく本書には登場します。特定のSNSを「不特定多数の人に自分の本音をぶちまけられる場所」と勘違いして間違いを犯してしまう人がいます。それ自体がストレス解消になっていることもあるでしょう。その人は加害者かもしれませんが、メディアにすら取り上げられると動転して記事を削除することもあるでしょう。そしてメディアに対して「クソが」とか言ってしまう。
 その領域外(飲食店の冷蔵庫に入ってしまう若者のような)にいる人もいます。目的が違う。
 これらを眺めると、初めは誰でも恥と思ってはいないようです。恥と思っていないから被害者ではないし、そもそも恥かどうかすら考えていないから加害者でもない。
 
 果たして恥がネットリンチを防ぐキーワードになるでしょうか?正直に恥じている感じが加害者を満足させるのかもしれませんが、それはある意味加害者に「正しいことをした」と認識させることになるのでは?
 SNSで批判をして、同調した批判をみると安心したり、批判を続行したりすることと同じです。それ自体は悪いことではないし、必要なことですらあるので、難しい。やはり問題はネットリンチにあった人たちの事後のケア。
 ボブ・ディランの言葉をねつ造したジョナ・レーラーという人は、ジャーナリストにそのことを暴かれ、最終的にツイッターの実況が流れる巨大モニターの前で公開講演しました。徐々に流れる内容が悪くなっていき、フルボッコの状態になりました。
 通常、被害者と加害者の間には因果関係があることが法的解釈ですが、ネットにおけるフルボッコはそうでもない。批判をみるのはその人の自由だから。
 本書ではネット上での炎上が原因で会社をクビになった人も多く登場します。日本ではあまりないことです。だから日本でクローズアップされるのは社会とは少し隔たった感覚で捉えられる個人です。自分とは住む世界が違うような。
 
 人間は様々な要素があります。性別、年齢、職業、属している会社、人間関係、趣味、悩み事など。それらをすべてフラットにして言葉だけが目に飛び込んでくるネット。
 人は見下しにくいが、言葉は見下しやすい。気をつけたいですね。
 
狂っているのは、残酷なのは、わたしたちである。(165ページ)