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On bullshit

読書感想文、社会評論、その他を自分勝手に。

思ったこと 感じたことを そのままに

本、読み終えた。マット・グレアム『ぼくは原始人になった』

読書 自然

 

ぼくは原始人になった

ぼくは原始人になった

 

 

本書目次

黄金の日の出
ふたつの世界にまたがる
思うがままに行動する
“筋肉頭のマット”
古代の健脚な使者たち
極限まで走る準備
カリフォルニアを走る
馬なみの壮健さ
自分の居場所を見つける
人といかにかかわるか
わが家への長い歩き旅
原始時代のいでたちで歩く
ひとりで過ごす
死の瀬戸際
幻覚とヴィジョンクエスト
冬至から夏至までの旅
サバイバル道具
食べ物と絆を結ぶための狩猟
“シュライバル”を教える
裸足で原野を走る

 

本記事目次

強靭

マットさんの教え

自然に対する態度

 

 

 

 

www.discovery.com

(上記リンク先ではページ下部で魚を突くマットさんが視聴できます。自動再生なので音量注意です)

 

matt graham - Bing video

(マットさんの住居などが観れます)

 

 

強靭

 

 

 強烈に興味を持った本を読むとき、私は頭全体がズキーンズキーンと痛くなります。この本で久々にそれを味わえました。
 だってそうでしょう。ホワイトアウトの状況でシュラフに入っているだけ。その状態で「何かあるかもしれない」と思って興奮しているのが筆者なのですから。そのほかにも原野で一人の狩猟採集生活を半年続けたり、アリゾナ州から700km離れたユタ州にある実家に歩いて帰ったりしているのですから。
 完全自殺行為なのに不思議、この人なら大丈夫なんじゃないか?そう思ってしまいます。事実屈強な肉体を物語るエピソードが数多くあります。それとともに精神力の強さも驚くばかりです。
 本書は自然と寄り添うことを、サバイバルを通じて行うことで示していきます。私はこの本が自己啓発の本棚にあっても違和感を持たないでしょう。悩んだ末、現代社会から隔絶した環境を選び、新しい人生の観点をのぞかせてくれるからです。
 
 

マットさんの教え

 ところでこの本はいわゆるサバイバル教本ではありません。サバイバルに役立ちそうな情報はありますが、決して「こうすればうまくいく」というものを示そうとしているのではありません。ではこの本は何なのか。
 主軸としてはマット・グレアムさんの半生を通じて、原始時代の生活と現代の生活にどう折り合いをつけていくかという筋書です。幼いころから野生的で、原始的生活をすることを決意。それから自分と関わる人を介して自分はどうやって生きるべきかを模索し始めます。そして自分の知恵を教える方向にシフトしていくという話です。サバイバルではなく、シュライバル。生き残るための生活から自然を楽しむための生活を教えるために、数百人の生徒を教えていくようになります。
 私はなんだか禅の十牛図を思い出さずにはいられませんでした。十牛図とは禅がどういうものかを十枚の絵で表しているものです。廓庵作の十牛図では最後の十枚目は『入鄽垂手(にってんすいしゅ)』という名があり、禅の教えを鄽(てん)すなわち町に入って広めよという意味があります。
 あるいは鈴木大拙の『大地性』でしょうか。人間、地に足がついていないといけない。どれだけ飛んでも地にまた戻ってくる、みたいなことを言ってます。

 

十牛図―自己の現象学 (ちくま学芸文庫)

十牛図―自己の現象学 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

日本的霊性 (岩波文庫)

日本的霊性 (岩波文庫)

 
 
マットさんの生き方が「教え」にシフトしていくのは興味深いものがあります。
 マットさんは現代生活を完全否定しているわけではありません。むしろ現代生活をしている「友人に会いたい」と心情さえ吐露することもあります。彼女がいた時期もあるようです(後に破局)しかも後で後悔もしています。このように現代から離れる葛藤も併せ持っている点で、他のサバイバル本とは違います。
 一方で若い頃、自然に無作法に入っていく観光客に対して尻を見せるなどの行動を起こしています。
 
この問題(生きている動物の姿とスーパ―の肉)について本を書く。なんとか解決しようとする。だが、たいていの人が大地からはるかに隔たっているという単純な事実のせいで、どうがんばっても解決は無理だ。
(241ページ、カッコ内はonbullshitによる加筆)
 
 

自然に対する態度

 マットさんが得たものは、どうやらサバイバル能力ではないようです。「自然と心を通わせる」態度、それを表現するシーンが数多く見受けられます。確かに自然に集中すると頭が痛くなり、神経が過敏になるような気がします。
 私は川でザリガニを捕まえて食べるだけですが、マットさんは狩猟道具を研究し、自作し、何年も練習して、最終的にウサギだろうと魚だろうと捕らえる「恩恵」を享受できるまでになりました。
 この差はなんだろう?と思います。色々あるでしょうが、それはやはり「態度」に行き着くのでしょう。私は物好き、あわよくば食費が浮けば最高だなんて考えです。若い頃のマットさんなら、これに不快感をあらわにしたのでしょうね。
 
大多数の人は自然を体験しているつもりでいるが、その実、ディズニーランドのアトラクションに近いものに乗せられて、疑似体験させられているにすぎないのだ、と。
(145ページ)
 
 つまり登山の装備のように高価で、重いものを担ぐのは疑似体験なのです。安全なばかりでは学べない。ときにはそれが揺らぐ環境で過ごすことも大事だ。これはマットさんの基本スタンスのように思います。しかしマットさんもクライミング技術などを習得するなど、無知で突っ込むことはしません。
 
要するに、大自然から隔たりすぎてはならない。土を自分の足で踏みしめる手段を見つければ見つけるほど、生活のあらゆる手段が向上するのだから。
(261ページ)
 
 隔たりすぎてはならない。なぜなら自然は工夫する力、忍耐力、精神力を養ってくれる。そして、自然から完全に分離することは人間にはできません。
 狩猟採集生活を営んでいた時代から脳の容量は縮小したという研究結果もあります。野に出てみれば、新たな展望が開けるかもしれませんよ?