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本、読み終えた。山本七平『「空気」の研究』

 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 

 

本書目次
「空気」の研究
「水=通常性」の研究
日本的根本主義について
あとがき
解説   日下公人
 
 
本記事目次
みんなが感じている・読んでいる「空気」
空気=臨在感的把握
空気と水
日本的根本主義
本文は少し読みにくい
 
 
 

みんなが感じている、読んでいる「空気」

    「あれは言える雰囲気じゃなかった」とか、「あの空気はムリ(笑)」というのが若者の言葉からも出てきています。私もこのような意味での「空気」を使ったことがあります。しかしこの空気自ら壊すときは大変居心地が悪いものです。我慢できずに発言・行動をしたときのあの静まり返った空間と全員の視線。私が何か間違ったことを言っただろうか?私はすぐさま仲間外れにされるのだろうか?そんなことはありません。本書はそんな「空気」を語った本として有名なのではないでしょうか。
 以下本書の目次通りの3項目を簡単にイントロだけ紹介したいと思います。
 
 

空気=臨在感的把握

「空気」の研究

    臨在感的把握というのは著者の言葉なのでより近似の一般的な言葉にすると、それはアニミズムになると思います。つまり物に対して何かしらの力があると感じることです。地蔵にいくら手を合わせても自然科学的には何も変わりませんが、地蔵に「何か」を感じる。日本人が感じる「空気」にも「何か」があるということです。確かに空気を感じると急に視界が広くなって、静かな音も響いてきて、自分が何かに圧倒されているような感覚があります。
    ところでそういう空気は諸外国人も感じているはずだ、と思うのですが、イスラム・ユダヤ・キリストのような一神教には映像禁止・偶像禁止があるので、地蔵に手を合わせるような空気とは違うというのです。このように日本の「空気」は特別である例を指摘していきながら話は展開していきます。
 
 

空気と水

「空気=通常性」の研究

    よく「水を差して場をしらけさせる」と言いますが、決まって数人が集まって話をしているときです。この場合は話の方向がある程度定まっているのに明後日の方向にある話をしてしまうことで言われると思います。つまり日本人特有の意味合いの「空気と水」は背中合わせになっているのです。しかし「水」は事実の指摘である場合がほとんどです。では「空気」は事実ではないのか、日本人にとって何が事実になるでしょうか。そういう観点から「空気=通常性」が語られていきます。
 
 

汎神論的神政制

日本的根本主義について

    現人神(天皇)と進化論というところから始まり、アメリカと日本の対比によって日本的根本主義を語ります。日本的根本主義とは矛盾する言葉でも同じ土俵に立たせるという、聖書絶対と合理性がくっ付いているアメリカでは理解が難しいものらしいのです。また後半は「空気」の研究と「空気=通常性」の研究も合わせた総論が展開されますので、空気にだけ興味があるという方は212ページからも理解を助けてくれます。そこで日本の「空気」とは保守的にならざるを得ない性質だという指摘があります。なぜなら日本的空気というのは未来を対象にしていないからです。それでも人間にとって未来は必要なわけです。ですから諸外国の現在を未来として臨在感的に把握することで追いつこうとしていた、というわけです。本書では日本的空気の長所と短所を次のように書いています。

「われわれは情況の変化には反射的に対応はし得ても、将来の情況を言葉で構成した予測には対応し得ない」(213ページ)

 

また企業に対しては次のように指摘しています。

「(中略)企業などは、自らを一種の鎖国状態におき、その密室内だけで、自らの内で通用する言葉だけで自己の未来を構成し、その構成された未来と現状との間で事を処理するという傾向を生んだ。それがまたその閉鎖集団内部の私的信義に基づく忠誠を醸成し、父と子の隠し合いの倫理をますます強固にしていく」(218ページ)

 

父と子の隠し合いとはかばい合いということです。あるある!と多くの方が感じるところだと思います。
 
 

本文は少し読みにくい

    「空気」という研究対象は大変面白いのですが、読みにくかったです。理由は用例として使った具体的な言葉をそのまま名詞的・形容詞的に転用しているからです。どういうことかといいますと、日本的平等主義を説明するときに便宜的に「一教師・オール3生徒」という例を出したのですが、これが他の章に渡っても「一教師・オール3生徒的」や「一教師・オール3生徒のような」といった風に転用されていていつまでたっても抽象的な言葉に置換されないのです。なので理解をコンパクトに収める作業がしづらい文章になっています。
    しかし日本的空気というのは研究されてしかるべきものです。なぜなら諸外国の研究にはないものですし、戦時中はこの空気が原因で敗北を喫した事例もあるからです。そのことに関しては人気がある本の『失敗の本質ー日本軍の組織論的研究』でも注目されていることです。本書あとがきでこのような「空気」は昭和期に入ってから強まったといいます。「あの雰囲気では仕方がなかった」と個人的責任が免れるような考えもこの頃からだと。これは心理学的なものなのか、文化的か、社会的か、はたまた民俗学的なのか。今更変えることはできないと思いますが、変えられないからこそよく理解すべき事象だと思います。

 

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)