On bullshit

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本、読み終えた。メアリー・ローチ『死体はみんな生きている』

 

死体はみんな生きている

死体はみんな生きている

 

 

本書目次

頭は無駄にできないすごいもの―死体で手術の練習
解剖の罪―人体解剖の始まり以来の死体泥棒などのあさましい物語
死後の生―人間の腐敗と防腐処理
死人が運転する―人体衝撃試験ダミーと恐ろしいが不可欠な耐衝撃性の研究
ブラックボックスを超えて―搭乗者の遺体が衝突のシナリオを語るとき
軍隊に入った死体―弾丸と爆弾の難しい倫理
聖なる死体―はりつけ実験
死んだかどうか見分ける方法―心臓が動いている死体、生き埋め、魂の科学的探究
頭だけ―断頭、蘇生、人間の頭部移植
私を食べなさい―薬としての食人風習と人肉団子事件
火ではなく、コンポストへ―新しい死後の生
著者の遺体―どうなることやら

 

 この本は現代において死体がどのようにして、生きている人に役立っているかを記したものです。
解剖学のため、衝突実験のため、事故の原因究明のため、人間コンポストの可能性などなど、様々なことに使われていることが、取材を元に詳しく書かれています。
 
 3分の1ほど読んでいくと、読む時間を選択するようになりました。
清々しい朝か、陽気な昼か、夢に影響する夜か……。
それくらい生々しい現場が書かれています。
(結局私は夜を選択しました。いろいろな夢を見れました。)
アメリカらしいジョーク調が合間に挟まれることで、気分が沈むのを防いでくれます。
 
 私は子どもの頃、ザリガニの構造を立体的に知りたくて、脱皮したてのザリガニを解剖したことがあります。
ザリガニの専門書に載っていたカラー解剖図の通りの配置・色だったので、感動した覚えがあります。
身近な昆虫はほとんど中身を見たと思います。
それが人生で何かの役に立ったかといえば、ありません。
趣味の域を出ていません。
しかし私の生物の愛し方とは死んだら終わりではなく、動かなくなった体も愛するところにあります。
 生物と人間を同列にするわけではありませんが、遺体も死んだら終わりではなく、利用できることがあるようです。
知らない遺体の使い方を知ることができました。