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On bullshit

読書感想文、社会評論、その他を自分勝手に。

思ったこと 感じたことを そのままに

ホラー映画の続編はつまらないか?

*怖い画像は使いません。
*怖い商品ページもありません。
*安心してご覧ください。
 

 ちょくちょくホラーの特番が放送されていますね。

個人的に好きなホラー系は
  • 心霊写真
  • 人形
が好きですね。
 
心霊写真はどこがおかしいかを探すのが好きですし、人形は人型に何かが宿っているという考え方が好きです。
トロッコを撮ったら、黒い塊が座っていたという経験や、
家にかつていたすごく存在感を感じる不気味な人形が置いてあったという経験からかもしれません。
最近は家では見ませんね……。
 
髪が勝手に伸びるとか、勝手に出歩くとか、妙に惹かれるところがあります。
 
 
 
 
 
●日本のホラー映画
 ジャパニーズホラーで有名な映画はなんでしょうか?
たぶん、
が王道ではないかと思います。
どれも続編があることから、人気であることがわかります。
 
 上3つのホラー映画に共通するのは、理不尽に呪いに巻き込まれるということだと思います。
  • 『リング』ではビデオを再生したら巻き込まれました。
  • 呪怨』ではヘルパーの方が巻き込まれました。
  • 着信アリ』では電話帳に自分の名前があるだけで巻き込まれました。
 
 しかもすべての人が巻き込まれる可能性があるという点で、怖いと思います。
そのせいで社会現象になりましたね。
  • 着信アリ』。友達の携帯の着信音を勝手に、あのテーマ曲にするというイタズラが流行した。
  • 呪怨』。電話をかけて、「はい、もしもし、何?」と出ると、「あああああああああああああああ」と言われるイタズラが発生したことからわかります。
  • 『リング』。アメリカでリメイクされ、日本のホラー映画が海外に発信されるキッカケとなりました。 
 
 怖いホラーは社会的影響が強いとわかります。
 
 
 
 
 
●でも続編は……
 しかし続編はどうでしょうか?
  • 『リング』はらせん、ループ、エス、タイド、バースデイ。
  • 呪怨』はビデオ版、劇場版がそれぞれ1と2、白い老女と黒い少女。
  • 着信アリ』は1、2、Final。
がそれぞれ続編としてあります。
 
 たとえば『着信アリ2』では、坑道内にいた少女が、物理的に強かったし、『Final』では被害者の死に方が、若干コミカルに感じられました。
『リング』の続編では、貞子が大量増殖したり、座頭市もびっくりの剣捌きで貞子を退治していました。
 
 つまり、ホラーから離れていっている。
どうしてそうなるのでしょう?
ホラー映画の続編はかならず明後日の演出へいくのだろうか?
考えてみましょう。
 
 
 
 
 
●ホラー映画で
必要なのは何か
 ホラーに関してはオリジナルが一番怖いのは当然だ。
そのホラーを知らないからです。
電話がホラーとして怖い存在だと思うのは、着信アリを見るまでは思わなかったでしょうし、それは呪いビデオでも同じ。
まさか画面を抜け出てくるとは思いません。
 
 ホラーでビビるのはそのように日常的な常識と、ホラーに対する基本的なイメージが壊されるときではないでしょうか?
ちょん切られた腕が動くわけはないですし、明らかに出ると思うところでは出ず、何ともないシーンでビビるというお約束があるから怖い。
 
 ホラー映画に必要なのは、視聴者が何とも思っていないところに怖さをコソッと挿入することだと思います。
怖さのボルテージを上げてくれます。
つまり、明らかに怖い演出はむしろプラスアルファだと思います。
コソッと挿入するやり方は、『呪怨』や『仄暗い水の底から』、などがそうでしょう。
 
 
 
 
 
●ホラーのシーンで
必要な要素
 ホラーに必要なのはコソッとした怖さ。
これが映画全体に不気味さをもたらすとともに、真正面からぶつけてくる怖いシーンに対して我慢できなくする準備をします。
 
 今度はそのホラーシーンで必要な要素を見てみましょう。
ホラーは幽霊が完全に画面内に現れます。
怖さの絶頂であり、登場人物と視聴者に対して命の危険が差し迫るシーンです。
 
 また完全に日常生活ではなくなるシーンです。
真っ暗になったり、閉じ込められたり、物理的に攻撃されたりします。
そしてたとえ安心したとしても、その後すぐビビらせるシーンが挿入されることもあります。
安心しても一気にビビってしまうのは、視聴者の心がビビる準備万端の状態だということです。
恐怖ボルテージが0から100へ一気に上がります。
 
 とするとホラーシーンで必要な要素は、
  1. 不気味さ、恐怖心の蓄積とその圧迫。それらの分量を調節する機能が映画に奪われる。
  2. 物理的、精神的な理由によって身体的自由や移動の自由が制限されている。言うなれば、逃げ場なし。
  3. 現実との乖離。
 
 
 
 
 
●では、
続編はつまらないか?
 とすると、日本を代表するホラー映画3作品の続編はつまらないんでしょうか?
明らかにこれはホラーとして作っていないと思うシーンはあります。
たとえば『着信アリ2』では、ニワトリの羽を吐いて死ぬシーンがある。
これは全然怖くない。
 なぜなら、吐くまでの時間、羽を吐いた人は普通に嘔吐するような仕草をしていました。
そしてオヴォーと吐く。
その他の登場人物も逃げられる環境でした。
そして吐くという動作は日常的です。
だから怖くないんです。
 
 また『貞子3D』でしたか?
貞子が大量発生するんです。
しかもそれを剣でバッサバッサと切り捨てていきます。
カッコイイと思ってしまいます。
これはもはや海外のホラー映画です。
 
 日本のホラー映画の良さは、どうしようもない不気味さにあるはず。
 
 『リング』の続編においては貞子のプロポーションが素晴らしいという、どうでもいい事実が発覚しました。
ちなみにパチンコの貞子はさらに艶めかしい(汗)
 
 ホラー映画と言えるのでしょうか?
少なくとも純ホラーとは言えないと思います。
 
 しかしつまらないかといえば、そうではないと思います。
少なくとも笑えました。
エンターテイメントホラーという感じでしょう。
 
 ホラーは見たいけど、怖すぎるのはダメ、という方は続編から観てもよいのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
●ホラーの限界
 ではどうして続編は明後日の方向へ向かっていくんでしょうか?
ホラーには限界があるからだと思います。
怖いシーンでは結局どうなるでしょう。
  • どこかに連れ去られる。
  • 物理的に殺される。
  • 気絶する。
  • 見ただけで何も起こらない。
いろいろ怖がらせる方法はありますが、基本的に上の4つに大別されると思います。
怖いシーンの大きなカテゴリーはこれだけで、それ以上広がりを持つことはできません。
広がりを持たせられるのは、怖いシーンまでに至る経緯、キッカケです。
  • 死の予告……ビデオ、電話、手紙など
  • 呪いの口火……イジメ、自殺、殺人など
これは無限大です。
つまり続編で新しい何かを盛り込むには、そういうところ、あるいは別ジャンルの映画から何かを導入するしかない。
その結果、格闘や怪物退治といったシーンに流れてしまうのだと思います。
そうしないと、死に方だけにクローズアップされていくようになり、スプラッターに寄っていってしまいます。
クローズアップされるのが、恋愛や人間関係、怪物的超越性に流れるのは自然かと思います。
 
 
 
 
 
●ほどほどのホラー
 ちなみに怖すぎないホラーってないの?
一つ知っています。『輪廻』です。
ジャンル的にはサスペンスホラーという感じです。
なのでこれも純ホラーとは言えないと思います。
ホラーシーンもありますが、完全に心霊というわけではありません。
 
 
 
 
 
●逆に、純ホラーは?
 お気に入りは『仄暗い水の底から』です。
クライマックスはエレベーターのシーン。
正直私はそのシーンで心臓停止状態(白目)
 
 でも最後まで観ると少し悲しいお話。
そこもいいポイント。
呪怨』のように悲しくもなんともない、ひたすら怖いままのやつは嫌ですね。
純ホラーは現実→ホラー→悲しい事実→現実の流れが様式美だと思っています。
 
 
 
 
 
●最後に
 思うに、ホラー映画は現実に戻ってこれるからこそ価値があるように思います。
そうすることで、やっぱりホラーは怖いって自分に言い聞かせられる。
現実に戻ってきたからこそ、また怖い思いをする。
しっかりと生存本能が掻き立てられる感じのほうが、出来の良いホラーだと思うんです。
 
私自身のそういう体験談はこちら。

 

onbullshit.hatenablog.com