On bullshit

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低所得者と高所得者に関するネット記事(ビズ・ジャーナル)に関する私見について

イントロ

 限られた中で文章を書くのは骨が折れる。だから読売新聞の編集手帳を書いている人は一体何者だ?と驚嘆してしまう。それはネット記事においても同様のことが言える。

synodos.jp

 上記のサイトのような高度な言論を展開するときも、ある一定のページ数に落ち着いている。感心する。私にはできない。


 その一方でネット記事の中には「量が足りないせいで誤解を生んでいるか、あるいは間違っている文章だ」と思うものもある。

原因は筆者が①意図的に書いているか、②素で間違っているか、③あるいは依頼された。

これらしかないが読み手は判断するしかない。いずれにしても矢面に立っているのは筆者だ。筆者を批判するしかない。主に感情的に。

今回の記事はそれだ。低所得者層から見たこの記事に対する感情的な批判になる。以下がその記事だ。

biz-journal.jp

 

 

記事の概略

 上記の記事の要約はこうだ。

要約:年収300万円以下の低所得者層と1000万円以上の高所得者層とでは、食に関して明らかな違いがあるという。まず運動と食のことから始まり、居酒屋での最初の一杯は何にするのか、食事は一人か複数か、を低所得者数と高所得者数でどう違うかを述べ、その明らかな違いにより食への考え方は人生を変えるかもしれないと括った。

 

最後に低所得者層のみに絞って特徴が列記されていた。以下がそれだ。

コピペ開始。

【アンケートからわかった低所得者の食事の特徴】
●とりあえずビールをオーダーする
●体形維持やダイエットをする場合、食事を変えず運動をする
●大盛りが無料なら必ず頼む
●ご飯をあまり食べず、炭水化物を抜いている
●ビジネス会食はしない
●とりあえず野菜サラダをオーダー(高所得者は漬物を頼む)
●飲食後のシメにラーメンを食べる
●カロリー制限をしている
●忙しい日はランチを抜く
●食事中に携帯電話をいじる
●よく行く、もしくは好きなお店はどれですか?(複数可能)
 ファミリーレストランファストフード、ラーメン、回転寿司、カレー専門店、牛丼
●朝食、昼食に野菜ジュースや豆乳を飲む
●ご飯を食べるのが早い
●夕食が、レトルトパックやカップラーメンの時が週1回以上ある
●最近、フルーツを食べていない
●外食で異物混入していても、さほど気にしない
●中国産も気にならない
●缶コーヒーをよく飲む
●朝食、昼食バイキングは限界まで食べる
会話が少ない
●食べる姿勢が悪い

コピペ終了。

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批判開始

 筆者の独自調査と言っているが、まず一体どのような調査手法を用いたのか全く記されていない。コンサルタントならそれくらい表記してもいいだろうに。調査対象者数に対してどれだけが多く、少ないか感じるのは人それぞれだ。つまり読者は最初から筆者と自らの感覚がおよそ同じだろうと信じて読まなくてはならない。独自調査ということで余計不安にさせられる。

 次に細かく記事を見ることにする。ここからが感情的な批判であり、よってon bullshit(うんこな議論)の部分になる。よって私も筆者と同じく誤解を生むか間違っているかしている。申し訳ない。

 記事では体形維持やダイエットをするとき「運動をする」「食事を変える」どちらにするか記述している。そのあと「ちなみに」と付言してジムに通う人が500~800万円クラスには多い、1000万円以上になると逆に多くないと書いた。

それ必要?必要だとしても自宅に器具を置いている層もいるはずだからそれについても触れておかないといけない気がする。これでは多い少ないという言葉が相対的な概念ではなく絶対的な価値判断をするために用いられていると感じてしまう。

 次に高所得者層は日常でよく体を動かしているとする。

コピペ開始。

例えば、「エスカレーターを使わず階段を昇る」「タクシーを使わずなるべく歩く」などで、さらに仕事をしながら運動していることもあるのが高所得者の特徴だ。

コピペ終了。

低所得者層のほうが体を動かしていると思うのは気のせい?肉体労働のほうが多い。立ちっぱなしを省いても同じことだ。

 次に記事はビールの話に移る。

低所得者層ははじめの一杯がビールで、高所得者層はこだわりで頼むらしい。金銭的な理由に絞っただけじゃんと思う。想定してみよう。

 まずはじめにビールを頼むというのは昔からの暗黙のルールだった。それが低所得者層に対して尾を引いているのか、あるいは低所得者層を特徴付ける理由として適当なものなのか論じる必要があるのではないか。

 低所得者層が居酒屋にビジネス寄りの目的で来るのは会社の飲み会しかない。立場が上の人も来るし大所帯、価格も控えめのお店だ。そんな中で奇異な目で見られないようにするためにはビールを除いて他にない。つまり低所得者層がビールを頼むのは一定の強制力があるからだ。低所得者層は協調を重んじる。

 対して高所得者層は次のビジネスにつながる相手と飲むということは、少々値が張るお店だろうし、かつ少人数だろう。そんなシーンではビールで協調を図ることより話のほうに重きが置かれるのは当然だ。つまり高所得者層がお酒を飲むのは一定の志向性がある。

 分析ってこんな風にするんじゃないの?

 

 

批判で結局言いたいこと:まとめ

 上記にコピペした低所得者層の食事の「特徴」としていることに不満がある。別に低所得者はビールが好きというわけではない。なりたくてなっているわけではない。よって低所得者に見られる「特徴」とするのではなく「現象」とすべきだ。低所得者の本音を尋ねることによってこの記事はさらに真実味が増すはずだ。

 低所得者を運命論的に述べている言葉選びと文章に何だか不満を持ったのでした。私はそう思いました。