映画、観た。『明日に向かって撃て!』
実話の映画化。
サンダンス「それより銀行はどうだ?」ブッチ「よりどりみどりの豪華版さ」サンダンス「女はどうだ?」ブッチ「手当たり次第だ」サンダンス「(笑)」
映画、観た。『荒野の1ドル銀貨』
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本、読み終えた。堀江貴文『多動力』
本書目次第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった第2章 バカ真面目の洗脳を解け第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ第4章 「自分の時間」を取り戻そう第5章 自分の分身に働かせる裏技第6章 世界最速仕事術第7章 最強メンタルの育て方第8章 人生に目的なんていらない本記事目次1時間半で1400円まとめると「我慢すんな」?許された…?結局わからないことの真偽は自分が調べるしかない両輪で回す追記2017/06/06
自己啓発的な本を、しかも新書を買うって初めてかも。
友達をなくすと大体こうなる。
私は、自分が12歳の時に持った友人に勝る友人を、その後持ったことはない。誰でもそうなのではないだろうか。
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人の一生の価値など容易には量れない。遺された家族や友人によって量られると言う者。信仰の厚さによるという者。愛によるという者。人生に全く意味がないという者もいる。私は、互いに認め合える人物が量りあうのが一番だと信じている。
私はなぜか節目節目で人間関係をリセットしてしまう。高校卒業後、大学卒業後、転職後がそう。決して用済みだなんて思っていない。けれど消してしまうんです。
スタバで好きなカフェモカを頼んで、飲み干したと思ってもカップの下にはココアパウダーやら砂糖やらが堆積しているでしょう?それを惜しまずカップごと捨てる感じでしょうか。
何が言いたいかというと友人との付き合いは決して面倒なことではない、むしろ楽しかった。一応法学部卒ですが、法学や犯罪学や社会学などの学問で友人と話し合うのは、一人で勉強するのとは比べようのない価値のある時間でした。でも連絡手段は絶ってしまうのです。
友人は大切です。たとえ悪いことを行っていても、その時だけは仲間です(善悪はその後の要素です)
友人を失うと何にもなりえません。私の中の何かは破れた風船のようになってしまったと考えるべきです。誰もがちゃんと膨らむ風船を持っている。それが何らかの原因で破れてしまった。顔を赤くして息を吹き込んでも少しずつしぼんでいってしまう。
友人を失うことはあるでしょう。生命という形で、あるいは裏切りによって。人それぞれですがゼロはいけない。生活が一変してしまいます。やはりゼロとイチは違うのです。
そこで何が違うのかいくつか挙げてみたいと思います。あくまで個人的に違うだろうと思う点です。最も驚いてほしいのは、30分ほどでこれだけ挙げられるということです。
ひねくれて、こじれてしまう。大変なことです。
・お金と時間が自分のためか、家族のためかのどちらかになる。
だからと言って有り余るわけではない。どこかでいつの間にか消費している。自分か家族以外の使い道が遮断されているように感じる。が、結局拒んでいるだけだということを知っている。
・基本的に一人行動になる。
これにおける自由は危険だ。知識も経験も、それ以外の一切が得られなくても何も変わらないからだ。それを許してしまえる環境だ。でも誰かといれば少しは変わる。コミュニティという概念は『蜘蛛の糸』だと思う。
・だからどこかに行くとき、人を誘うという考えに至らない。
自分の好きなことを、「よし、やるか!」で終始する。逆に誘われると「え、どう合わせよう…」となってしまう。
・それで人とのやり取りが余計に反芻される。
そもそも論、会話がほとんどなくなる。なので面と向かって言われた言葉が数時間でも数日でも頭の中で繰り返される。誉め言葉だろうと暴言だろうと。なんでもない会話だろうとすべてだ。
・音をよく聞くようになる。
車がドップラー効果を発生させながら走る音。風の音。風で窓が揺れる音。スズメの鳴き声。人ごみの靴音、話声。テレビなど。
面と向かってくれる人には真摯になろう。
・早歩きになる。
合わせたい歩調がなくなるためだ。人ごみは縫うように進み、駅のエスカレーターは歩き続ける。それに合わせてくれる電車はないのにね。
・遠慮のいらない人間がいなくなる。
これが行き過ぎるとむしろ他人の評価を気にしなくなるので注意だ。自分のことで精一杯、という気になっている。気力が少ない。
・馴れ合いによそよそしくなる。
馴れ合いは大切だ。卑下しているわけではない。なんでもないコミュニケーションに生返事が多くなったら、それはよそよそしくなったと認めたほうがいい。積極的にエレベーターガール&ボーイでもやろう。
・人づきあいが打算的になる。
お前と一緒にいたら楽しいという感情的な理由が減る。自分が何を得られるかで考えるようになる。
垣根は相手がつくっているのではなく、自分がつくっている。(アリストテレス)
・服装に無頓着になる。
首回りがくたびれるのは当たり前。肩や首回りが破れてきて「縫えば直る」と思ったらヤバい。その時にはもう新しい服にお金を出すことに抵抗を感じているはずだからだ。ネットでロングTシャツ一択でいいので買おう。パンツ(ズボンのことらしいぞ)は黒、茶でいいから。
・誰かのための予定がなく、スケジュールに締まりがなくなる。
今は親孝行に費やしている。美術館や博物館、神社仏閣などはおすすめだ。ちょっと遠出すればあるからだ。そして知識、経験の共有は人間の本能であるし役割だ。
対人ではないが私はハーブの栽培で朝は忙しい。水をやらないと枯れるし、摘葉しないとこれもまた枯れるからだ。独身貴族がペットを飼い始めるのと同じだろう。
・家族にも打ち明けられないことは封印されたままになる。
病気とかは特に。自分を助けられるのは自分だけだ。これだけは(程度は違えど)万人共通だ。
・家族がいる。これは代えがたいぞ。
絶対に、絶対です。心配してくれる人がいるのは良いことだ。間違いなく。
拒絶に慣れていない子どもは欲しいものが手に入らないということより、拒絶されたことを一層辛く考えることになる。
・だから相談に乗ることも、乗られることにも不得手。
というより無頓着になる。色々なシーンで「よくあるQ&A」の項目を読むようになったらその兆候だろう。
人をほめれば、対等になれる。(ゲーテ)
・夢にかつての親友が10回に1回は登場するようになる。
今はどうしているかわからないが、上手くやっているに違いない。あいつ等はそういうやつだった。
ちなみに変な夢を見ることも多くなる。
・自己研鑽に興味津々。
筋トレ、ジョギング、資格の勉強、教養、読書など。過去に負い目を感じながらやってるなら一緒に頑張ろう。ここでいう過去とは人生のレールから少しだけ脱線した場合を指す。
物事を見過ぎることで、それが持つ意味が見えなくなることを、私は恐れている。
・思想という言葉に弱い。
継続して良さそうなのを実践をするのは偉い。しかし思想が自分をスプーンのように救ってくれると勘違いしてはいけない。スプーンを握るのは自分だし、すくうのも自分だ。
不幸は本当の友人でない者を明らかにする。(アリストテレス)
蛇足ですが、書いてみたいことがあります。以下のことを書いて気づいてくれる人は世界を探してもたった一人しかいないが、書き残したい。
「ドアノブのパジェロ。ちゃんと持ってるぞ」
ブラック部活が生まれる要因の一つに「感動」がある。
柔道は楽しい。「柔よく剛を制す」もある程度は可能で、自分より大きい相手を投げ飛ばしたときの爽快感は格別です。誰もが強くなりたいと思っている。そのほうが楽しいから。仮に強くなれなくても楽しみたいと思っている。でも楽しめない環境になっていく時期がある。真剣になる時期がある。
一つは試合前。県大会とかの全国への切符が間近のときはみんなピリピリする。練習がなかなかケンカ腰になる。そしてもう一つが今回のメイン。「感動」を目にしたとき、だ。
かつて、県大会でこんな一幕があった。とある選手が片足の膝のじん帯を試合中に痛めてしまった。うめき声をあげる選手。おそらく断裂した。先生方が「もうダメだ。棄権するしかない」と選手のそばで言った。選手は「絶対にイヤです!」と猛抗議した。しばらく先生と選手で押し問答があった後、試合は再開された。立っているのがやっとで、片足を引きずりながら迫る選手に、相手は戸惑っていた。
相手は遠慮しがちに足をかけた。じん帯断裂が起こっているであろう足に小内刈りをしかけたのだ。もう一方の足は相手の全体重が乗っているから、仕方のないことだった。
軽く仕掛ける。それでも簡単に畳に沈んでいった。抑え込みが始まる。静かだった。力を感じない、優しい抑え込みに見えた。
ブザーが鳴った。試合終了だ。場内は拍手が沸いた。膝を痛めた選手は言った。
「ケガには負けてない。試合に負けたんや」
ここまでは「感動」である。それは選手の意地と、それを受け入れた相手選手の心意気だった。私は泣いたし、多くの人が泣いていた。
ではその後どうなるか。言わずもがな「多少のケガで弱音を吐くことが許されなくなる」
そして「あの感動をもう一度味わいたい」と思うし、それを「他の人にも託すようになる」
かつてワタミの元社長が「感動を食べれば生きていけるんです」とか言っていたが、私は7割反対だった。3割は同意だった。
感動がなかったら人は生きていけないと思う。私はコケ植物やその他の動植物を観察するのが好きだ。小さな中に精密な機構があることに感動する。あるいは『ゴリオ爺さん』を読んで涙する。そういう経験がない人を見たことがない。動物関連でお涙頂戴番組があるのはそのためだ。
感動というのはなかなかない。だからいつの間にか、なりふり構わず手段を尽くすようになる。ケガならまだいい。死者が出たときでも、それが「感動」に変わってしまったら末期だ。
特別な世界と日常の境が曖昧になり、特別な世界を日常だと錯覚したときブラック部活・ブラック企業が起こり得るのではないだろうか。その出発点の一つに、人間の純粋な心の機能である「感動」が数えられることを示しておきたかった。
これから夏だ。熱中症になるには十分な気温になっている。野外スポーツは直射日光が、柔道などの屋内スポーツは熱気がこもる。汗で畳に水たまりができるほどだ。なんのために自分はスポーツをしているのか?それを問い続ければ、悲しい出来事にはならないはずだ。